映画「愛を読む人」
男の純愛について議論する中で
映画の話が出てきます
映画を観た後に
今日は
待っていた封切り日
少年の心の中
生涯癒すことができない深い愛の傷跡
その愛は時間を越えて
愛する人に尽くすことでしか昇華させることができない
この世でたまたま出あって
たとえ、坊やとおばちゃんの間でも
二人が心底から激しく愛し合った時間と場所
セックスの喜びの数々
そして
次々に詩を読んで彼女に聞かせてあげた文学の世界
その幸せの思い出が
深く明確に脳の記憶装置に
埋め込まれており
(愛する人との間にそんなことがあったことは
神様も否定することができない真実!!!!1)
生涯に繰り返し
蘇ってきて
この世に生を受けた幸せをかみ締める
たとえ
愛する人と遠く離れていても
たとえ
抑えられない青春の性欲を
他の女性に向けて
現実の幸せを得ても
若い男性は
愛する人が刑に服している間に
別の学友と結婚するが
あるときに
離婚して
刑務所に中の愛する人に尽くす人生を選ぶ
(ネタバレになりますが
彼女は自分で文字を読めないのに文学が大好き、
他人に直接読んでもらうか、
この男性のように・・・・・、
彼女を助ける長い長い人生)
人生には
この二つの愛の形
男の心の深い深いところに巣くって、
どうもがいても逃れられない
永遠の純粋な愛
生きている限り
突き上げてくる欲望に翻弄され
エゴ剥き出しの現実的な生きるための愛
多くの人は
後者の愛に慰めを得て
せめてもの手に入る愛を
大切に生きていく
特に女性はより現実的な愛情に
映画の主人公
は
表面的な後者の愛から
やがて
前者の愛へ目覚める
その結果
悲しく辛い、孤独な人生が待っている
しかし
青春のあの燃えるような変わらぬ愛の心で
幸せな思い出を蘇らせながら
生涯
報われることのない
愛の奉仕を生涯続ける
(その内容は前述の・・・・)
そうすることで
初めて
心の平安と真の愛の喜びの人生を
心満たされて生きることができる
また、
本当に愛する人を愛するとは
どういうことか
この問題にも
映画は応えている
自愛のエゴのために、他人を愛するならば
自分が
裁判で本当のことを証言して
愛する人を自分のために取り戻すことができる
愛する人を救い出して
一緒に生活することができる
それでこの世の幸せを取り戻すことができる
(ここもネタバレを懼れて、・・・、裁判のクライマックス)
しかし
本当に彼女を愛しているならば
決して自分のためではなく
彼女の名誉を守るために
彼女に悲しい思いをさせないために
ついに
彼女を救いだすための真実の証言を諦める
真実に人を愛するということは
愛する人の心の願いに素直にそうこと
愛する人の、人間としての名誉を尊重すること
自愛の欲のために
自分の救済のために
行動するような愛は
真実の昇華された愛にはならない
非常に辛い選択の中で
迷い逡巡しながら
結局
愛する人の名誉を守り抜くこと
を決断
そして
愛する人と側で
一緒に生きることが出来なくても
愛する人から何の見返りがなくても
愛の奉仕を生涯続ける
自分の生涯の愛の証として
愛する人は
必ず自分の愛の奉仕を必要としている
そういう確信が
唯一の心の慰めとして
あの二人の愛のベッドを思い出すと
彼女は本当に自分の朗読を心から喜んでいた
と確信
その思いが
しっかりあると
20年間も一筋に
愛を貫くことができる
最後に
ようやくの出所の直前に
刑務所内で再会
坊や大きくなったね
愛する人の一言
この愛の奉仕の人生
長い長い年月に耐えてきた真実の愛
すべて
愛する人に認められた悦び
たとえ
最後に愛する人が自分のもとに
返ってこなくても
こんな悲惨な人生
いや
こんな幸せな人生
多くの男の心の中に
ただ憧れとしていき続けている
男性誰もが
同じような経験があるのでしょう
私は
10年間余も過ぎると、
もう諦め
やがて現実の世界に返っていく
ただめくるめく性の悦びだけが
悲しい青春の思い出として残り
映画は
あまりにも若く激しいセックスシーンの連続
どっしりした熟女の裸身の美しさと
性の悦びの激しさ
真実に愛することは
年齢差、身分の違い、全てを超えて
どこまでも相手の深い性を求めること
尽きぬ喜びを共有すること
ぼく
明日オバチャンたちのフラダンスの踊りを見るんだけど
輝く裸身にくらくらしそう、
大丈夫かな
でも
ここだけは
もう一度見たいようなシーンの連続、
久しぶりの興奮
アカデミー主演女優賞を取るのも
大変ですね
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コメントの議論から
是非映画館で美しいケイトの裸身を観て下さいよ
二人のベッドは
映画の核心部分
実は
字を読めなかったために
ベッドのセックスの中で
少年の文学作品朗読を深く愛するケイト、
その二人だけの事実を裁判の証拠として出すかどうかが
この純愛の決定的なポイント
単なる見せ物のセックスシーンではなく
二人の愛の深い繋がりを生涯続ける拠点としてのベッド
愛の奉仕とは
離婚してまで刑務所の愛する人に本の朗読をテープに入れて送り続けること
しかも
字の書けない彼女からは一辺の返事も来ない
ただあのベッドの彼女の喜ぶ姿の思い出だけが愛の報酬
そんなに
このセックスは人生を左右する重要なもの
だから映画館でケイトの輝くように
美しい裸身を目に焼き付けて
男の純愛の意味をわかってあげて
私も
過ぎた愛情をこうしてよく思い出したものです、喜びよりも悲しみの感情に満たされて
セックスシーンと言っても二人がベッドで裸になって本を読んでいる時間が長く
セックスレス生活の長い私には
どきどきする興奮です
羨ましさもあって
パートナーのいる方にとっては
別に裸の二人の姿に抵抗はないのでしょう、室内で生まれたままの裸で本を読んでもごく自然な姿
だから
是非映画館で美しいケイトを観て下さいね
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躊躇していましたが
いろいろコメントありがとうございました
今日
一息入れて書きます
フラガールさん
お伽噺のようで、
あまり実感がでないかもしれませんよ
ばかばかしい男
そんな感想かな
若い頃誰もが経験する年長者への憧れと愛
たった数回あっただけで
人生のすべてをその人にささげるなんて
年上に女性からみて
こんな若い人に愛されたらどう思いますかね
自分のために人生を犠牲にしている坊やの対して
心から申し訳ない、懺悔の気持ち
その愛が嬉しい、感謝の気持ち
自分がもっと諭してあげたい
ネタバレですが、
女の刑期が終わって
迎えに来た男に対して
女性の答えは・・・・
フラガールさんなら
これから二人で
失った幸せを取り戻そうね
でしょうね。
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ロマンチストですね
若い頃よく言われた懐かしい言葉
大学改革の議論などでは
「理想主義者」と批判されていました
田舎の山奥の子供時代から
夢見る少年でしたね
それは、今も変わりません
人生は憧れ、
男は夢、
ロマン、恋を求めて
幸せ探しの旅を続ける
好奇心に衝かれ
美しいものに惹かれ
真実、純粋に生きる
ただ一人の人を愛する深い喜びは
今も自分の生きる力の源泉
愛に生き、恋に生きる
愛がなければ、
心の灯が消えてしまう
ただ
長年の辛い経験を通じて、
夢の意味をようやく理解しかけています
ロマンチスト
青春の日々は、相手を引き寄せる夢
年老いた日々には、相手に尽くす無償の愛
片思いの恋の喜び
愛する人の熱烈なファンとして
幸せだけを祈っている
自分に引き寄せて、
自分に対する愛を求めなくても
心は十分満足、
愛する喜びが湧いてくる
愛する人の幸せの邪魔にならなければ
この世で生き生きと活躍していてくれれば
それが男の夢、
片思いの恋の妙味
もう人に好かれようといろいろ考えることもなく
もう満たされない悲しみに心を任せることもなく
ただただ
観音様の美しい光を浴びているだけで
人生の生き甲斐、愛する喜び、
すべてをブッダの配慮にお任せして
この世では
愛する人のすぐ側で
愛の歌を繰り返しながら
落ち着いた残りの人生を送りたい
まだ十分ロマンチストですね
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愛のことでコメント
初めてですね
しかも
嬉しい話
愛を貫くには勇気がいる
それは自分の心に対する勇気ですね
自分の心をよくコントロールできるならば
愛を貫くことがそれほど難しいことではないかも
だって
愛にゆれる自分の心を客観的に見るようになると
(思考系の脳神経を優先的に働かせて感情系の神経細胞に影響を与える)
自分で十分納得しながら
自分流の愛を貫くことができる
(これは私の得意、忍ぶ恋が一番美しい!!)
決して盲目的に一方的に、愛する相手に迫ることでなく
自分と愛する人との間の位置関係を冷静に判断して
自分の愛の思いを大切に暖め続ける
それでも十分深い愛の喜びをうることができる
映画の男性もあれだけ激しく彼女を愛しながらも
自分の事に関して非常に冷静ですね
ところで
ひろまんまさん、
愛の表現が切実ですね
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コメント
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
投稿: とおりすがり | 2009.07.08 23:24