カテゴリー「趣味」の7件の記事

2006.10.29

コスモス

秋が深まってくると、コスモスの花が一段ときれいですね。
立川の昭和記念公園(昭和天皇)では、広いところにコスモスの無数の花
いつも近くを通りながら、写真でみるばかり。可憐な色の乱舞は、凄いですよ。

コスモスは故郷の農家の庭に咲いている。
どこの家にも、庭先にコスモスの可憐な花
コスモスを見るたびに、
のんびり美しい秋の自然を愉しんだ子供の頃を思い出します。

コスモスは秋の桜と書くのですね。口で秋の桜と言われればすぐ分かりますか。
はるか昔のことですが、長兄の葬儀の時、兄と一緒に四国のお遍路参りをされた方から、コスモスの咲いていた旅の思い出が、弔辞に届けられました。
葬儀のことに夢中で頭が空っぽになっていて、一瞬秋の桜という文字に、これどんな花ですかと周りに方に伺ったのを思い出します。みなさんも、字に書かれると分かるが、秋の桜の花はどんな花、と言われると、しばらく分からなくて、お悔やみの言葉を葬儀で紹介するのに、一瞬慌てたのを思い出します。
でもすぐに「秋桜」という字で、コスモスと分かって。(国語力の不足)

春の桜は華やかですが、秋の桜はとても可憐ですね。
花の色も白、赤、とりどり、新鮮でさわやかで、可愛くて、抱きしめたいような清らかさ。
スケートの浅田真央さんのイメージに通じるのですが、
可憐で優雅で柔らかく、しなやかに舞う真央、如何でしょうか。
今夜は、残念ながら3位でしたが、すっかり魅せられています。

庭先のコスモス、
故郷の家族のことなど、懐かしい思い出をいっぱい語りかけてくれる秋の花です。

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2006.10.23

映画「ガンジー」無抵抗運動

映画「ガンジー」(再録)

あの俳優、ほんとうにガンジーに生き写し、
実写の白黒フィルムに写るガンジーと、
それにかぶさって写される、カラーのガンジー
まったく同じ人物に見える。俳優の上手さに驚きました。

ガンジーの生涯、
あらゆる形の人間の差別に対する抗議活動、

誰でも神の前では人間として平等な正当な権利をもっている。
神がそう定めているに、それを人間が不当に歪めている。

神を信じる人間として、神の御心の実現に命を捧げる。
自分の損得勘定ではない、自分の欲望を満たすためではない、
神に遣わされたという崇高な使命感が、叩かれても投獄されたも、
決して諦めることのない運動に駆り立てる。

あのごく粗末なインドの服装で、ロンドンでも女王の前でも
恥じ入る気持ちなどまったくなく、
人間らしく生きる権利を堂々と主張する人間として。
そして
インド中を歩いて旅を続け、人々の生活のまっただ中に入っていく。
インド人の心はインド人の生活の中でしか掴めない。
貧しい人々に、自分で生きる生活の技術習得を説く
女性には糸紡ぎ機械
アシュラム、皆で共同生活の場所の建設。

無抵抗運動。
ガンジーの無抵抗運動の原点が、
植民地を統治するイギリス人の表情で
よく分かりました。そこの矛盾する人間味のある演技がうれしかったです。

イギリス連邦に属する人間同志の信頼感、私もイギリス国民
神を信じる人間の良心への揺るぎなき信頼、
絶対正義が強い、正義の前には、イギリス人の良心もひれ伏す筈と信じて。
仲間の暴力的な抵抗活動を何度も説得する、
その根強い力はこの人間への信頼感から生まれる。

植民地政府
何度ガンジーを捉えて投獄しても、
ガンジーはそのこと自体
イギリス人に対するクリスチャンとしての審判。
イギリス人の良心はここで痛んでいる筈、
イギリス人もガンジーと同じように神の僕だから。

ただ、歴史的経路依存性、長い歴史の中で続けられたものを
無秩序にすぐには壊せない。
神から任せられた人々の命を守るためにも、革命の秩序が必要。

楽観的に屈せず、
いつかイギリス人は、
支配されているインドの人々の苦しみを絶対分かってくれる
解放に手を貸してくれる
と信じ続ける。
これがガンジーの無抵抗運動のエネルギー

独立の時、
心あるイギリス人はようやく良心の呵責から解放され
友人として、独立の式典に参加する。同じ神の前の僕として喜びを分かつ。

国内の宗教対立
どんなにお互いを信頼し無抵抗の運動を呼びかけても
人々の間に異なる宗教心、お互いの信頼感が育っていなす。
破壊的な暴力活動がますます相互の信頼感を壊していく。

せめて人間としての良心だけは共通のもの、
命を大切にして殺しあいだけはやめなさいという、ガンジーの良心。

ようやくカルカッタの殺戮もガンジーの絶食の呼びかけで収束
ただ、
インドとパキスタンのカシミール紛争は、未だに解決できない深い対立。

イギリス人相手の独立運動では、
神の前の人間として、神が保障した人間への信頼感が最後に勝利の支えになったのに、
宗教間の争いには、
人間の心に住む良心、生命の尊厳を大切にする心しか、
お互いにシェアするものはない。
共通の「無抵抗のガンジーの良心」しか、争いの抑止力がない、

この厳しい状況に置かれたガンジーも、
宗教を越えて人々を信じ続け、耐えて耐えていくしかない。

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2006.10.21

モネ「日傘の女」

<日傘の女>

堤防の上に日傘を差した女性と子供が立っている、
そのはるか向こうの高い空には、澄んだ青空

子供と母親
印象派の柔らかい筆致で描かれた、堤防の上の日傘を差す女性
その側に小さな子供、目を丸くして

画家の家族と伺いましたが、
この親子に家庭の情愛の温かさが感じられない。
日傘を差す女性は、気品が溢れて教養ある姿。
ここでは子供の母親というよりも、
一人の自立心の強い女性が熱い日差しを避けて立っている。
その気位の高さ、意志の強さ、溢れる教養
一人の人間として生きているという、強い自尊の姿。
側の子供が母親の毅然たる姿に近寄りがたくなっている。
(堤防の下から見上げた構図、それだけ女性の姿が強く表に浮かび出る)

母と子は、明らかに自立した関係、
じめじめした身内の情愛は明るい陽光の中で完全に消えている
自立した女性は、あくまで誇りをもって自分の意志を通そうとしている。
たとえ、それが家族以外の人間への情愛であっても
一人の女性として命をかけて愛しようとする厳しい情熱。

ヨーロッパの女性は、子供はすでに自立した存在として別に扱い
(ベビーシッターに任せる)
性ある女として生きていこうとする強い凛々しい気性。
それが柔らかな日の光の中で、穏やかに包まれて感動的な姿になる。

こうした女性の強い人間的な思いの向こうには、
もっと大きな自然の中の神の意志が見える。
傘の向こうの空は、あくまでも青く高く、真っ白の綿雲の上に拡がっている。
人間の意志を越えた神の世界、そこには人々の思いはすべて吸い込まれて
素直になり、自然の中に吸い込まれていく。
強い意志で女性として生きようと言う女性の気持ちが、
大きな世界の中に柔らかく融合していく。
すべてが神の御心のままに。

日本の女性も、徐々に親子べったりの情愛から、相互に自立した関係に
子供を産んでも、一人の性ある女性としての魅力を大切にする
家庭の楔に繋がれるのではなく、
女性の誇り・自尊の意志と情熱をいくつになっても忘れない。

同時に、それが人間として個人のわがままな自己愛に終わるのではなく
大きな神の愛の世界に吸い込まれて、
家族の強く結ばれた愛の思いに昇華させていく。

私の寝室にこの絵があります。
朝起きると目にはいるのは青空(今日も良い天気)
そして、気品溢れる女性の姿

この絵を大好きと言っていた若いエリートのお嬢さん、
何故にこの絵にそんなにも魅せられるのか、
子供の遊ぶ家の情景に強く惹かれ、早く子供が欲しいと願いながら
大学院まで卒業して生涯の自立の道を気高く求めていく。
この絵の中に自分の姿が投影されているのでしょうね。

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2006.10.20

コローと「晩鐘」

印象派の絵
いつも親しみが湧いてきます。
一番好きな絵は「コロー」
どこの美術展でも「コロー」に出会うと、もう懐かしく、嬉しく、感動して

自然の澄んだ空気が、柔らかく絵の中に息づいている、
とても気持ちよくなるのです。思わず息がしたくなります。
大自然の中でリラックスして、
コローと一緒にこの柔らかな澄んだ空気を吸って、元気を感じます。

人物画もそうなんです。
子供の頃に出会った懐かしい人々のように
穏やかな表情、滋味溢れる微笑み、
人間の心の中の温かみが画面に自然と出てくる。
見ているだけで、温かい会話が自然と弾んで心癒される。

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モナリザ 悲しみからの立ち直り

<パリ ルーブル美術館>

モナリザの前で大発見

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2006.10.02

凱旋門賞 deepimpact3着

パリ郊外のロンシャン競馬場

ターフの緑が本当に美しい、鮮やかな緑が深くて広々として、
もう少し秋が深まると、色づいた樹木に囲まれてもっと風情が出てくる。

パリの一日、
家族で郊外の森へ散策
フランスパンをちぎっては、幼い子供たちと、歩きながらかじった、
あの美味さが忘れられない

私の心はロンシャン競馬場へ、
子供たちは広々とした樹木群の下で日光浴する人々と一緒に遊びたい、
まるで印象派の絵に出てくるような、情緒溢れる大きな公園の森林、遊ぶ人々
ついに競馬場には入れませんでした。伺うと、開催期間中でなく。

凱旋門賞レース

昨夜、その娘と凱旋門賞を遅くまでテレビ観戦。
脳の中に整理された情報では、
最後の長い広い直線、ディープインパクトが先頭に立ち(ここまで実現)、これから周りの馬を引き離して、どんどん加速、独走態勢で世界一の馬に。

まるで幻覚をみているように、ディープの足が伸びない、他のよく知らない馬が並び掛ける、しかも2頭も。もうゴール板だ!  自分の目を疑う

脳が、視覚からの新しい情報を受けて混乱しながら、
あれあれ、違う、違うよ!
確立されたヒーローのイメージが破れるときはこういうものか

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2006.09.28

心コミュニケーション  お茶を通じて

空と紅葉の美しい秋
人と人との心の交流が、より豊かに、より深くなる季節
人それぞれに秋の美しさに惹かれて、心を自然に開いていく。

<コミュニケーションとお茶>

金閣寺、大学生の頃
叔父が生前に住職をしていた京都の金閣寺で
小僧さん(高校時代の仲間)からお茶の接待。
静かな金閣寺のお座敷で、お茶は如何と言われて、
コーヒーと思っていたのが、濃い緑のお茶。
口に慣れないものを緊張しながら味わった、
感想を聞かれてどう返事したのか、
はじめてのお茶の経験。

新撰組探訪の旅
「燃えよ剣」にも出てくる京都の古い由緒あるお寺
(多分青連院だったと思いますが)
晩夏の庭園がすばらしく美しく、滝の音を聞きながらしばし沈思黙考
その時、お茶の接待に、正座してうれしくいただきました。
(後から入ってきた外国の方も、まねてお茶と滝の音、美しい庭園)

庭に面した広いお座敷で
ゆっくりゆっくりお茶碗を傾けるその瞬間、
自分のお茶の所作を通じて、
自分の心が
まるで自然の美しい景観の一部になるような、
自然の美しさに共鳴して、
静かに静かにその中に吸い込まれていくような。

なめるように頂いて
お茶の美味しい味はよく分からないけど、
美しい自然の舞台の中で素直な気持ちになって自分の心を見つめている、
ただ黙って、何も考えられないのに、何かがそこに生まれて、
心が洗われていくような一時でした。
これは、「無心」 禅の心でしょうか。

<お茶の作法>
お茶は、「礼に始まり礼に終わる」日本的な作法礼儀の修練の場、
上流の人々の楽しみと思って、まったく関心はありませんでした
ただ、京都という優雅な自然の中に溶け込んだ人々の楽しみという面で、
お茶会のすばらしさを羨ましく思っていました。
小説「秀吉と利休
お茶の心が描かれていますが、日常的な世界と離れた夢幻の遊びの喜びのようで、この濁世の指導者が心を癒す場所と感じました。

<毎夜のお茶会>
たった一つのメールに魅せられて(以下の転載)

こんなことでまったくお茶への関心は、他人事でしたが、
最近一つのメールを頂いて、
お茶会は心のコミュニケーションの場、という思いを強くしています。

実に不思議なことに、
お茶の席などまだ見たこともないのに、
この文章を読んでいると、
自分の心が自然の中に入って癒されてくるような気持ちになります。
夜、外出から帰ると、まずこの文章を読み返して、心を落ち着けるという、

なんとなく癖になって、お茶知らずのお茶席のような不思議な空間です。

これを話してくれた方の心の豊かさ、心の襞の純粋さ、美しさが良く伝わってきます。一時、夜のお茶会で静かに遊ばして頂いて、疲れた心を癒しています。
いつもいつもその喜びが心の中に染みこんできます。
脳が活発化して、共感、喜びの同調、そしてフローの状況に入っていくのでしょう。
これはまさに人々のコミュニケーションの原点でしょうね。

国際コミュニケーションのカリキュラム」
茶道を取り入れて、若い学生にホスピタリティの心に支えられた国際コミュニケーションを教えることは、新しい文化の時代に生きる人材の能力育成に大きな成果が上がると思います。
将来ますますコンピューターがいろいろな仕事をやってくれますので、人間に残された仕事は、心籠もったコミュニケーションの仕事、
コミュニケーションの神髄の体得にはお茶の心の学習、
素人ですが、彼女の書いた一文に共感しながら、ビジネススクールにもこうした日本の心の習得の時間を取り入れたらと思います。
”金を儲けてどかが悪い”、と言われる風潮にどうしても心から馴染めません。

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