海援隊と竜馬
NHK「ヒストリア」
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
前に書いたものの再録です。
原爆投下は
「どうしようもない」と是認する大臣が生まれる日本の歴史的な風土について
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
原爆の日を迎えて、兵器の発達とその増大する悲惨さに思いを馳せています。
前に書いた文章の再録です。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
この辛い人生にとって新撰組の魅力
新撰組を好きになって、何処が悪い!!
”金を儲けて”どこかで聞いた台詞ですが、その内容は大違いです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
前川邸の蔵
仲間からその時の写真が届けられ、懐かしく見入っています。ここが土方の花の舞台だったのかと感慨深く。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
京都三条、池田屋の跡地がパチンコ店になっています。
店の中を抜けて裏道へ、当時の争いの凄まじい姿を思い出しながら。
ここ池田屋、新撰組にとって聖地、
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
伏見に行ってきました。近藤が負傷したのはその近く墨染めですね。
ここが新撰組の運命の分岐点、ここを境にして新撰組崩壊が始まった。
近藤が鉄砲で打たれたことは、新撰組の運命に象徴的な事件です。
新撰組は、江戸の道場で剣の達人が選ばれ、上洛する将軍の警護、さらにその後京都の治安の維持がその組織理念や目的。
剣は面と向かって闘う、銃は遠くから隠れて相手の命を狙う。近藤襲撃は剣から銃の時代へと大きく時代が転換する歴史の流れを象徴。
新撰組は時代錯誤の連中と非難されるが、武士としての信義を守る集団として明治以降になってもその武士道は高く評価される。本当の歴史的な意味での遅れは、新撰組が、この剣から銃への時代の流れに十分対応できなかったこと。ここに近藤の弱点、失敗がある。名門の悲劇ですね
(優れた企業がかえって時代に対応できず取り残される)
この負傷で近藤は、身に染みて時代の根本的な流れを痛感した。土方はその後の伏見奉行所での大砲による敗戦で、その認識を決定的にした。剣の達人集団も、銃の時代にはもはや天下を取れない。
さて、
もし近藤が、時代の流れを十分理解して、京都の街に横浜から新鋭武器が(大山の買い付けで)大量に流れ込んでいる事実を土方得意の情報活動で、少しでもキャッチしていたら、この悲劇は避けられた筈。
剣と違って、銃は遠くから、また、陰から狙われるので完全に防ぐのが困難、さらに、どんなに剣の達人でもその勝負には、突然に負けることも十分ある。
そう考えるとそれに対応して準備し、もっと用心深い行動が必要であった。
この認識があれば、京からの帰りの近藤はもっと用心深く、危機に対応。
・隠れて射撃される危険性を考えると、京都往復の街路で狙われる危ない場所には、十分気を付ける。
・射撃の実力はまだそれほど高くないので、走る馬のスピードを上げることで予期せぬ攻撃からも身を守れる。お付きを引き連れてゆっくり走るのは危険性が倍加する。それを考えると、かなりのスピードで京から伏見へと駆け抜ける。
(実際はどの程度のスピードだったか)
新撰組の崩壊はここから始まったと考えると、近藤の危機を招く行動には非常に残念な思いです。
ところで
攻撃側も、一発で仕留める場所を選ぶか、射撃の腕を準備する必要があった。
もし、伊藤甲子太郎の復讐ならば、直接相手の大将、近藤の命を取ることが本来の仕事、その意味で、取り逃がした失敗の襲撃といえる。後で近藤が処刑されても、伊藤の事件と直接関係がない。
結局、双方とも当初の目的を十分達成できない不満足な結果。
ただ、
当時は、負傷治療の技術は非常に低かった。化膿止めの良い薬がなかった。
会津白虎隊記念館の早川館長によると、当時戊申戦争の死者は、負傷後に傷が悪化して死ぬ場合が多くなる。だから、どこかに弾が当たって、負傷させることが、最終的に致命傷になると攻撃側は思って成功と考えたかもしれない。
あれだけの重傷を負いながら
伏見の新撰組屯所まで駆け抜けた近藤の胆力に感動、
おれはここで死ぬわけにいかないという、近藤の強い執念が命を救った。人間は使命感に燃えた執念を持てば、生き残れる。同時に、近藤を治療した松本医師の腕前も非常に優れていたと賞賛。
生き残ったことで、形の上でも新撰組の崩壊の形が美的に整えられていく。ここで死んでいたら、崩壊の美学もぐちゃぐちゃになったかも。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
11月21日
久しぶりに壬生に行ってきました。
大変な混雑と伺って長らく遠慮していましたが、
京都4条河原町の街角に立つと、向こうの先斗町から総司と歳さんが突然やってくるようで、
新撰組の世界に飛び込んで行きました。
光縁寺
光縁寺では山南さんと総司の縁者のお墓に。誰もいなくてとても静かな墓地。
赤い花が咲いて秋の風情。
その時、たまたまウイーンから京都大学に勉強に来られている学生さんが
新撰組のことに興味があると墓参に来られて、
少しお墓の前で解説しているうちに長くなり(日本語も英語もあまり分からないので大苦労)、
それで、後の墓参の方に迷惑になってしまいました。
墓前の長話は良くないと和尚さんに注意され・・・ごめんなさい。
前川邸
おじいちゃんとまたまた長話、2時間半ぐらい邸内の案内を受けて大感動。
近藤さんが戸板に書いた書(勤勉、努力、発展・・)に感動
梱包を解くと中からあの古い戸板が出てきて、近藤さんの直筆に触れる。
「新撰組隊長」と書いていました。私のアドレスは局長でなく隊長にしているのですが
まったく同じなので不思議な感じ、
新撰組設立のういういしい頃は、近藤さんは、私と同じ気分でこの書を書かれたのかと。
その部屋は、山南さんが切腹された場所と伺って、ああーー!!慄然と背筋に走るものが
ここであの山南さんの人生が終わったのかと思うと、
あれだけの人物がここで生きていればまたその後の新撰組も違ってきたかも。
近藤さんは公武合体派の重鎮としてもっと広く京都政界に顔を広げて、薩長にも多くの知己をもち、
あるいは、戦争後にその人物像の高い評価から命が助かったかもしれない。
部屋の南側には、明里と別れた出窓、ここで愛する人との今生の別れをじっと耐えていた山南さん。
春の桜の頃になると、いつも二人の別れの悲しさが深く心の中にうめいてきます、
それも運命と諦めても、なお人生で愛する人を亡くす辛さ、厳しさが深く深く心の底に沈殿して。
新撰組に心情で惹かれるその原点は、ここから始まっているよう、
生きることの不条理に耐える辛さ切なさをしることで、新撰組の世界に入り込んでいった。
庭に出ると二つの蔵、ともに160年以上も経ってなお立派な外観。
河原の先頭には三重◎の印(家紋ではないよう)
中にはいると感動の連続、歳産の怖い顔が出てきて
続く
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
(3) EQ型リーダー;土方の豊かな対人知性(柔らかな関せと人徳)
あれだけ厳しくても部下がついてくる土方の人間的魅力、カリスマ
部下や周囲への思いやり共鳴力、心配りに富んでいる
豊かなコミュニケーション、リーダーとフォロワーとの心の同調性
同調する仲間ができないと大きな組織として何もできない。
厳しい争いの中で試衛館仲間をまとめ、
皆の能力を生かしながら組織として高い戦闘力と規律を維持するには、
近藤さんの人柄の良さもあったが、
土方の仲間との交流の巧みさもある。
アメリカで成功した経営者の例=
この人のためなら身を捧げようという部下が多く集まる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土方の豊かな対人知性;
近藤との生涯にわたる良き仲間、
総司との親密な交流、仲間との交流
京都時代は近藤にきれいな役、自分が意図的に汚れ役引受け
慈母の如く慕われる土方(東北、北海道戦争) 。
最後まで土方から離れない部下
宇都宮戦争で逃げる部下を切ったが後で鄭重に菩提を弔う
函館の町人の苦しみを判断して函館政府の金銭の借り上げに反対
豊かな心に絶えず大きな夢がある。ロマンティスト
多摩の原点;
このような豊かな対人知性はどこで育てられたのか。
幕府の直轄領として優遇されていた村の名主の人間性
土方は、成長期だけでなく、新撰組の活躍時期においても
多摩の人々の豊かな人間力に強く感化されて成長する
人間的な魅力豊かな小島鹿之助、佐藤彦五郎(EQ能力に富む指導者)。
村民を家族のように大切にー絶えず交流する
彦五郎は、村人の様々な経済的な面倒まできめ細かくみる。
歳は常に佐藤彦五郎と連絡し、その信頼に応えるように努める。
徳治の徳川家への報恩の心を共有
俳句にみる土方家の影響 心の情味を豊かに
小島家のおばあちゃんに調薬 佐藤彦五郎の息子に刀
�� 【土方が守ろうとしたもの、平和主義と多摩の風土】
土方が最後まで守ろうとした250年徳川時代の平和主義 徳治主義
勝った官軍の覇権主義 海外侵略に突き進む(秀吉の覇権主義)
多摩における反維新政府の動き;
自由民権運動の活発化(天皇神格化から主権在民へ)
第2次大戦後の覇権主義の破産と平和主義の再興
土方徳川の再評価 (主権在民、専守防衛の理念)
【 補論 土方流人的資源管理戦略のおもしろさ、ユニークさ】
今の企業社会でも通用する斬新的な手法の数々
1 オープンな人材採用 途中採用、実力主義
厳しい採用試験でなく一定の条件主義 集団主義から脱皮
2 内部で徹底した能力養成と資源の内部化(シーザー的部隊編成)
戦う前に徹底的に実力鍛錬 剣の実力最高 天然理心流
優れた資源の内部確保を重視
情報の漏れを防ぐ スパイの進入に対処
3 成果主義と厳罰主義によるモオチベーション
活躍すればお金で報いる
池田屋の600両の報奨金の配分、参加してないと配分なし
(参加者一人あたりベース10両、34人に配分;最大格差2倍に配慮)
4 ピラミッド型指令系統の組織創設 副長に一元化
すべての指令を副長に集中 近藤を象徴的な存在 清らかな存在
現場組織は幹部(10番組長)に権限委譲
グループリーダー方式 フラット組織
ボランタリーな幹部には組織の中の自由を認める(外で女性を囲む)
5 法家主義の導入
誰でも罪を犯せば切腹 裁量主義による不透明な運営の克服
土方の心の優しさを克服するために法家主義 一律の厳罰
人材を自由に入れたために荒くれども規制しなければ
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
続く
(2)組織理念・夢に基づく目標設定、
実行の徹底的な合理主義(情の排除、厳しさ)
組織理念ー個人の夢・志ー具体的な目標設定ー実現に向けた厳しい自律性
・組織理念の明確化とどんな苦境でも堅持(アイデンティティの確保)
組織理念にそった目標の設定(徳川家への忠節)
農民社会の頑固さ・伝統墨守
・個人的には夢や志を明確に堅持
(自分の天命を認識し強い志;ロマンティスト)
土方の頑固さ、最後まで夢を捨てずに、忠節を守り殉死
・(目的達成を重視して)実行段階における
日本の伝統的なあいまいさや、なあなあ主義、
不透明性の徹底的な排除、厳しさの導入
(土方の心の厳しさ、思考の合理性、意志の強さ、彦五郎の期待への強い気持ち)
日本人離れした心の強烈さ
(グローバル時代の企業革新の原点;日本的家族主義の弱点の克服)
意志決定の透明性、実行における厳しさ、
それが欠けていたために企業倒産などの例。
(アメリカで成功する経営者は組織理念を明確に守り厳しさを導入)
(なあなあの経営はしない、ゴーンさんの厳しさと断行)
参考
EQ(心の知性)とは;
心内知性;夢や志を大きくもって具体的に目標を明確に設定し、
自己抑制・心のコントロールをしながら目標達成に向かわせる心の強さ
対人知性;他人との良好なコミュニケーションをとりながら(高い共鳴力)
目標にむけて人々を引っ張る豊かな心の知性(人徳)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土方の強烈な心内知性の例;
・明確な組織理念と自己の夢志の設定と堅持は多摩生まれの宿命
組織理念=最後までぶれない徳川家への忠節、代わりようがない。
彦五郎からの感化
多摩の土方の夢・志=(竹矢来)
・新撰組の日常活動における日本人離れした心の峻烈さ
会津候からの強い期待に報いたいという強い気持ちから
目標明確化=
候から信託を受けた市内警備という組織目標を設定
(政治は近藤さんの役割)
実行のための厳しい自己規律=
捕縛能力を高めるために自分の隊を徹底的に鍛え、
組織の厳しい規律を導入し、
メンバーすべてに自分を厳しく律するように(死番)
情報システムを徹底的に活用する、
(普通の日本人ではできない、目的達成のための峻烈な古高拷問)
法家主義の導入の場合;、罪と罰を事前に明示、成功報酬として成果配分も
日本的ななあなあ主義不透明さを排した厳しい処置ム
(処刑43人(脱走者39人)、離脱者87人)
(土方自身は心優しい面、泣いて馬謖をきるシーンも。)
問題点ー
徳川家忠節の組織理念の純化の行き過ぎ?
(尊皇攘夷の仲間であるのに、尊皇倒幕・徳川批判グループの処罰)
奥羽東北軍の総裁に榎本から推薦された時、
すべての家臣の生殺与奪の権利を要求し決裂ー他人からの理解に問題・
多摩の原点;
・組織理念の深化、
直轄領多摩共同体のDNA、
地元有力者(佐藤彦五郎)の指導影響と強い期待
摩で生まれ、直轄領多摩社会の風土・人々に育てられた土方の魂;
・土方の夢・志
土方は4男、
自分の夢を自由自在に描けるロマンティスト=俳句にみる感性
日本一の富士を見ながら、武士への強い憧れ夢
個人的には夢に生きるタイプ。
どこでこんな厳しい心内知性と合理性精神を修得したのかム
商人奉公か、佐藤さんの強い影響か。
のぶさんも心強い人だったー血筋か。
(辛さに耐えられずに奉公先から逃げ帰ってくる小僧の歳が、どこで成長したのか)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「優れたリーダー土方歳三と多摩 」 1月22日
企業経営学の視点から
はじめに
;今も実業界で通用するリーダー土方の優れた才と徳、
黒船来襲と同じ時代背景、伝統的なものからの脱皮、新しいやり方へ
守るべきもの(組織理念)をしっかり守りながら、
新しい時代の戦略展開
;こうした土方を生み育てた多摩の風土と人々
【リーダーとしての土方、才と徳(典型的なEQ型人間)】
経営戦略の面からみてリーダーとしての土方の能力。
(1)創意工夫の才に富むリーダー(洋装の土方)
;柔軟な思考力と組織革新力
激しい環境変化の中で生き残るには
絶えず新たな創意工夫の集団戦略
(グローバル時代の企業の生き残り戦略に不可欠)
リーダーとして常に何か新しいものを考え抜き、
次々に導入する柔らかさと周到な準備・実行力
幅広い情報ネットワークをつくって
絶えず情報収集と情報分析をしていると、
そこに環境にうまく柔軟に適応した新しい工夫・戦略、
準備作業が生まれる。
(あたらしもの好きで柔軟な発想ができる土方の性格、
ビジネス情報で商売する薬売りの商人経験も、役立つ)
ジュリアスシーダー型の戦術
(大軍を破る斬新な戦術と徹底的な準備・兵の訓練)
リーダーとフォロワーとの密なコミュニケーション
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創意工夫の例;、
新しい組織形態(指令系統の整備)、成果主義、情報戦略の数々、
法家主義、銃砲の導入、
斬新な戦い方の例;
戦術面でも沢山あって、調べると非常におもしろい。
・複数で取り囲む新戦術(集団捕縛「草攻剣」死番)予行演習
ー捕縛で殺した相手は10数人程度
・伏せ兵の使用など臨機応変の戦術(夜間の戦闘における時の声 )
多摩の原点
やんちゃ坊主歳さん;
集団喧嘩の達人ム浅川で隣村などとしばしば喧嘩、負けない;
喧嘩の仕方を熟知、石も投げる(喧嘩投石術)
実家の共同作業の指揮 浅川で薬草を採取、薬の生産と販売
丁稚奉公の経験 現場で才覚 自分のやり方を模索し上司と衝突
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)
「内部資源の活用」
日本独特の精神的風土をもとにして日本企業が伝統的な人事政策を採用してきたのが、グローバル化の急速な進展で今日大幅な修正に迫られている。土方の資源管理と活用の手法は130年前にそれまでの封建社会の慣行とちがったまったく斬新なものであり、現在の転換期においても充分通用するものがあり、ある場合には、土方から学ぶべき手法が多く見られる。
以下では、人事採用と研修制度、成果主義と評価制度、組織管理における法家主義と会津藩への情報開示)。
「人事採用と研修制度」
日本の集団主義的社会では、特定の組織に入る人間に対して、その入り口で厳しいチェックが行われている。大学でも、企業でも、入り口の入試や入社の試験を厳格に行って参加を許可している。組織にとって人的資源はきわめて重要な財産になるからである。しかし、最近になって企業社会の変化に伴って途中入社など組織への参加の道が緩められ多様化している。
土方の組織管理の方法は、集団主義社会の日本ではきわめて斬新的なものである。新撰組の隊員募集には、一家の長男とか特別な事情の者以外については、どのような背景のものであろうと広く門戸を広げていた。その際、新撰組の組織目標から見て必要な剣の力による選抜だけでなく、会計方などの人材についても組織の中に取り入れた。その結果、いわば、浮浪者やならずもののような者まで新撰組の組織の中に入ってくることになった。その時、組織全体の活動が低下する恐れがでてくる。そこで土方の組織管理は、中での厳しいトレーニングを課して能力養成を徹底的に進めること、その際、単に剣の実力だけでなく、文芸の師範制度を導入してより幅広い人間性の涵養に努めている。
さらに、隊を脱する者は切腹という厳しい掟を示すことによって、組織の中に入ったことの帰属意識を強固にさせる。組織の入り口は広く広げながら中にはいると厳しい鍛錬と帰属意識とで人的な資源の能力を鍛え直して、組織の活動力を高めるようにする。
「成果主義と評価制度」
長年日本社会の慣行であった年功状列的な評価制度は、ようやく成果主義の方向に転換している。土方の管理方法はまさに伝統的な手法を打破した斬新なものである。日常的な見回り活動では、常に組を中心に5人単位の集団的な行動を進める。その際、一番危険な先頭の突入者、死番を5人順番に平等に割り当てる。さらに、顕著な事件では、誰にでも目に見える明確な評価制度のもとで、働きに応じて報償の金額を決めていく。働きのない者はほとんど報酬を貰えない。報酬の大きさによってその人の活動振りが推測されほど、明確な成果主義を取り入れている。
「組織の法家主義的管理」
組織内部の人材の管理においては、家族主義的な社内の雰囲気の中でかばいあいのあいまいな処罰が行われる。新撰組ではこの面できわめて峻烈な組織のルールを確立して人材管理を行った。組織の入り口を大きく広げた結果、内部化される人的資源の均質性、同質性が損なわれる。それに伴って内部における管理ではそれだけ厳しいものが必要になる。しかも、新撰組という組織は、会津藩というきわめて有能な武士集団を抱える集団の下部組織になっているために、内部の厳しい人材管理の手法が外部にも分かるような(アピールするような)透明性のあるようなものにしていかなければならない。
こうした組織管理の明確なルール確立の必要性に対して、現実には新撰組の組織の成り立ちそのものに、そもそも幹部レベルの人々のボランティアの自主的な集まりであり、厳しいルールを押しつけることが馴染まないという側面が含まれていた。そこに新撰組という組織構成の難しさがあり、それを統括する土方に対する厳しい批判が生まれてくる。ボランティアで集まった同志に対して、浮浪者やならずものを管理する厳しいルールを適用すると、当然同じボランティア仲間からの厳しい反発が出てくる。それを抑えるには、組織管理の原則を法家主義で行う、すなわち、いったん決めた規則を適用するには一切の例外を認めずに組織のすべてが服することを厳しく要求する。特に土方そのもの個人的な性格には、近藤さんと同様に情味溢れる人間的な弱さをもっていた。もし、法家主義の原則を厳しく適用しなければ、土方も近藤もその主れる人情味から規則の適用に裁量主義がはびこって公平性を欠き、その結果、外部からも分からないような処罰が横行して日本的な伝統のなあなあ主義におわり、厳しい組織の活動力が弛んでしまう。
以上のように土方の新撰組という組織の管理には、日本の伝統的社会の原理を超克した近代的な性格をもっていた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
以下は今日の下書き、読み直していないので誤字脱字一杯。
順次書き直します。
今日はくたびれました。これから新宿へ。
良かったらご意見をください。
「多摩の土方銅像の前で」
・2004年は大河ドラマによる新撰組ブームで大勢のファン、溢れる新撰組の情報
・新撰組の故郷として多摩の地も脚光、多摩の生んだ新撰組、実はこれが新撰組の行動や性格を知る上で非常に重要なポイント、新撰組の神髄には多摩の伝統精神や人々の思い、それを基底にして、近代的な組織を作ろうとしたのが新撰組。
・組織リーダーは日野で生まれ育った土方、新撰組という新しい組織を形成して、歴史に残る大きな活動
その秘訣は、実は多摩で生まれ育った土方の組織戦略論は、封建的な社会の伝統を超克したきわめて近代的斬新な発想、日本で初めての組織、
今日、日本的な伝統のうえに形成されてきた日本の企業組織や日本的な経営は、グローバル化時代に向けて根本的な変容を迫られているが、実は土方は、すでに古い日本的な組織戦略から脱皮した近代的なものを着想して新撰組という組織に具体化、したがって、その組織戦略論は、グローバル企業へ飛躍しよういう企業にとって、非常に興味深い内容が秘められている。
ビジネスマンのための新撰組講座の開始
主題
はじめに多摩の共同社会と新撰組について、根底での深い繋がりについて説明する。そこをベースにして土方は新しい組織戦略を構築していった。新撰組は、いわば多摩共同社会という本社に対して京都の子会社の役割を果たしており、それが新撰組の組織・活動内容や運命を決定的に決めることになった。
しかし、新撰組の崩壊後、新撰組の精神は多摩社会に帰って130年を経過しても、なお今も新撰組の神髄にふれてその組織に強い関心と愛着をもつ人々が非常に多い。単なる一つの組織体ならその崩壊ですべてが終わるはずであるのに、これだけ後の世の人々の心に大きく残るのは、斬新な組織体の形成において今の時代にも通用するすばらしい魅力を内蔵していたからである。
その魅力を企業論の視点から探っていこう。
「多摩社会と新撰組」
2点を強調する。
・新撰組発祥の地多摩の特徴、=幕府と運命共同体、板東武者の流れ
天領、幕府から特別に面倒を見てもらい、いざという時に幕府に、
家訓で縛られていた会津と同じ宿命。
・多摩の年長の人々との交流;本社の幹部と子会社との人的交流、報告
最後まで本社の人々とともに。共同体の中で裏切れない日本社会の伝統。
後で詳しくみるが、この多摩社会との繋がりが新撰組の崩壊の運命に大きな影響
2点を強調
・歴史の中の大きな転換の中、沸騰点で時代の権威を倒そうという派と守ろうという派になると、幕府と運命共同体 新しい時代に衣替えできずに 組織理念の純化がより厳しく行われた。
これが後の人々に感動、愚直なまでにまっすぐに節を変えず、板東武者の精神を堅持
・組織が大きくなり、より大きな活動が期待されるようになるとそこに(創業者の思いを越えた)もろもろの新しい要素を取り入れて、新たに組織理念のアウフヘーベンが必要になる、新撰組は最後まで多摩共同体の子会社として立場を堅持して、組織の活動がはるかに大きく発展してきても、組織内部の(当初の)理念の純化につとめる
それが多摩共同体から派遣された幹部中心の組織に止まり、外部の雑音を排除する論理に。
新撰組の暗い内部闘争の数々(芹沢暗殺、山南切腹、伊東一派殲滅、永倉直訴も含めて)
最後には近藤なき後土方の新撰組に純化、より大きな近代的な軍隊組織への変容脱皮を困難にした。
逆に、それ故に滅びに向かってネバーチャレンジの敢闘精神、徹底した武士道の堅持、そして生まれ故郷多摩への帰還、身を滅ぶとも多摩の人々の深い思いを受けた一途な幕府への忠誠心と義は、見事に生き残って、はるか後の人々に輝きを高く掲げることになるム深い男の魅力
「経営組織の基本原理をベースに新撰組という組織の解剖」
企業の戦略組織は基本的には次の4つの要素の上に形成されている。
組織理念、外部環境変化への適応、組織内部資源の活用と外部化、戦略の策定と日常活動
ここでは特に、組織理念、外部環境への適応、内部資源の活用と外部化という視点から新撰組という組織の魅力を解剖してゆく。これらの諸要素を考えるとき、その背景に多摩社会の伝統的な精神が常に働いていることが認められる。
「新撰組の組織理念」
組織が強い力を発揮できるか、さらに長い生命力を維持していけるかは、組織のもつ理念によって大きく影響される。転職の激しいアメリカの企業でも、すべての従業員が心酔して尊重しそれのよく具現者になろうとするような優れた企業理念を組織のコアにもっている会社は、エクセレントカンパニーとして世界的に大きな活躍を展開している。組織の理念が明確でない場合や、従って組織内部の人間が喜んで理念を尊重し、理念の実施に参加しようとしないような企業や組織では、一時的に隆盛期を迎えても多くの人材を束ねて長い時期に大きな活動を展開するのは困難である。関係する人々の心を一つに結び、大きな組織的パワーに転化させるのはその組織のもっている優れた理念・企業精神である。
長州の奇兵隊は、高杉の指導のもと倒幕による新しい日本を作るという優れた組織理念があり、それが幕末維新戦争の強いパワーになったと言われている。それに対して新撰組はしばしば理念なく集団、時代錯誤の集団と捉えられており、それ故に組織が崩壊していったと。
しかし、幕末維新戦争で決して新撰組は烏合の衆ではなかった。強い純粋な組織理念に支えられて組織として厳しい外部環境の中最後まで戦いを続け、しかも、後の人々に一つのまとまった組織としてこれだけ強い感銘と感動を与え、現代の人々に新しい日本の社会を作ろうという夢を与えている。奇兵隊の夢は、明治政府の中で本当に生き残ったのであろうか。むしろその後の日本の敗戦に向かう歴史をみると、・・・・
それでは新撰組の組織理念の内容と限界はどのようなものであったか
2点を強調する。
・外圧の中、国を開こうという幕府の立場と日本古来の尊皇を重視した公武合体、幕府を倒す勢力には最後まで徹底的に抵抗。その背景には多摩という地縁的な共同体の伝統精神(土方の故郷が長州だったら違った行動)。板東武士としての一途な節と義に生きることに、多摩の農民から幕府を守る武士になりたいという彼たちの生涯の願いを美しく昇華。函館で破れても多摩の社会に帰還し、魂は再生して日本の発展に貢献。すなわち、日本精神を支える優れた人々に武士道精神、節と義を辛い厳しさと美しさを、身をもって教えて感動。「燃えよ剣」、
・組織理念の純化に努める。前述のように組織の肥大化に伴う理念の変容に対して、新撰組は理念の純化に方向に。創業者の理念をあくまで重視し、スモール イズ ビューチフル。それに伴って多摩社会以外の指導者に対する内部の粛正など暗い面が出てきたが、純化プロセスの必要悪、鬼と言われる土方の苦悩。伊東に乗っ取られていたら多摩共同体の理念ははやくも消えていったであろう。
戦後の高度成長期に落ち込んだ日本企業の落とし穴は、どんどん肥大化し、組織の理念、企業倫理を軽視してまで会社規模の拡大を志向する。企業理念が徹底的に叩かれ鍛えられていない企業は、従業員の企業への帰属意識がそれだけ弱く、困難に直面するとコア人材の流出などでパワーを急速に失っていく。130年後も感動を与えるような企業組織には、人々の心を結びつける優れた理念、企業倫理が不可欠である。魂のこもった優れた理念なき組織は、相互の利害関係がなくなるとばらばらに分解され崩壊に向かう。ちょうど利害関係で結ばれていた薩摩と長州は、維新後に新たな利害を求めて西南戦争で戦い、同じ政府に残った人々の間でもそれぞれの派閥の対立激化が長く続いていた。
「外部環境の変化と情報戦略」
組織にはそれぞれの目標がありそれを実現達成するために戦略を接待して活動を行っていく。その時、現実の組織は純粋に宇宙空間に存在するようなものでなく、実際の社会の中で形成され活動していく。組織の活動の場として現実社会があり、そのあり方が非常に大きな影響を組織に与えることになる。現実社会の動きはその中の組織に影響を及ぼし、時には、大きな重要な組織の場合にはその活動が現実社会の動きに逆にインパクトをあたえることもある。
新撰組を考えるときの最大の問題は、幕末という時代のなかでの組織形成であったことである。時代が大きく変転する社会という場に投げ込まれた新撰組は、現実社会と直接密接な関係もと持つようになる。ただ、新撰組という組織の目的は、基本的には将軍の警護から出発して京都の治安維持に重点が置かれた、長州戦争のための組織的な布陣を敷くこともあったが、基本的な性格は治安維持活動のための警察機能の発揮におかれていた。鳥羽伏見の戦いの後は、幕府サイドの軍隊としての役割がますます重要になり、現実社会における組織の位置づけが基本的に異なってくる。
新撰組が時代の動きをどのように捉えていたかについては、非常に重要な問題であるが、政治的な問題は基本的なリーダーとしての近藤さんの役割分担であり、そういう場にほとんどでていない土方をとりあげるので、ここではむしろ、土方の役割である情報戦略について検討する。近藤の立場はすでにふれたように公武合体であり、開国要求の厳しい中で幕府の権威と天皇の権威をあわせて外国に対抗させようというものである。時代がどのように転換していこうと恩顧の徳川幕府がその中心にいて責任を果たすという、現状容認派の立場はますます強固になった。新撰組は時代知らずの集団という汚名があるが、むしろ時代をどのように動かすかという基本的な視点からよく考えて、既存の権威である幕府中心という立場を明確にし、その一翼を担う新撰組の組織的な力を強化しようとした。
さて土方であるが、ここでも多摩に育った土方特有の才能が組織の活動に充分生かされた。
情報戦略は、国の行く末を考えるときに必要になる大局的な情報と、組織の日常活動に必要な小局的な情報に二通りがある。土方が得意としたのは小局的な情報戦略である。
多摩の土方は家伝の石田散薬を行商するという商人の活動をしていた。その前には松屋の丁稚方向など商人としての基本的な見習いをしている。土方の商人活動の説明。
商人としてもっとも重要な才能は、利益のあがる商売の機会を捉えることである。そのためには市場に関する情報をできるだけ的確に豊かに収集し、分析し、それを商売に生かしていかなければならない。そのためには、日頃から広い市場を観察していなければならないが、土方は石田散薬の行商を通じて、自然と身につけるようになった、遠くは甲府まで出かけていたそうでその行動半径の広さが土方の情報力を鍛錬していった。
この情報収集、情報分析、情報の活用という情報戦略は商人にとってきわめて重要であるが、武士には通常あまり問題にならない。土方が武士の集団の中でこうした商人として才能を持ち合わせ、それを有効に生かしたことで、新撰組という組織の活動力が飛躍的に上がることになる。組織の中に探索役を正式に設けて山崎のように鋭い感覚を持つ人材を集めて活用する。しかもその情報を非常に迅速に有効に活用する。
トップが情報を持つことはその下の人間にとって非常に強い緊張感を高めることになり、組織の活動を活性化させる。信頼関係が十分できていない場合には、土方に対する恐怖感にもなり、情報力が隊員を苦しめる凶器の役割をもっているが、戦線組の京都市中の警護活動には、土方の情報戦略によって支えられている。あの池田屋事件も新撰組の情報戦略の成果である。
企業の中で様々な情報が集まっているが、従来からの繰り返しの活動に終始している所では、その情報を有効に生かすルートが非常に限られ、それだけ大きな商機を逸することになる。土方は組織活動のトップに一人で君臨し、優れた探索方を自由自在に動かすことによって情報の価値を大きく高めて組織の成果に結びつけている。これは商人として土方のすぐれた才能をもとに作り上げられた情報戦略である。
問題は、後半新撰組が軍隊としての活動を展開するようになってからである。現場の指揮者として土方は状況を好く把握して勝利に導くすぐれた現場指揮者としての力を発揮した。その点で土方は軍隊の指揮者としても、商人の情報戦略を生かしながら、成功したと言える。
ただ、大局的にみると、奥羽同盟などの場において強い政治力を発揮して官軍に対抗するような働きが見られない、もし近藤さんが一緒にいればまた違った政治的動きが見られたかもしれないが、現場の指揮官として優秀な土方も政治的な指導者にはなれなかった、それは商人としての情報力があくまで市場の観察から生まれる情報を重視するものであり、大局的長期的な動きをみるという情報戦略には慣れていなかったと思われる。そこが情報に優れた土方の限界である。
その意味で現代の企業についても、小局的な情報については組織内部でよく収集分析されているが、大局的な情報については会社の生命にかかわるようなものであり、会社のキーの人材に集中することになる。しかし、長年小局的な情報に慣れている人材がトップになってきたときに企業戦略の中にどれだけ大局的な情報を活用できるか非常に問題がある。関連する市場ばかりをみて、世界のマクロ経済の大きな動きを観察し、その情報と自分の商権との密接な関係について的確な判断力を持って活用する能力は一般に弱いと思われる。その最大の証拠がバブルに煽られた不良債権問題であり、グローバル展開における欧米企業に対する戦線後退である。
現代勝ち組企業といわれるのはまさにこうした大局的な情報戦略を徹底的に活用して、次代の流れにマッチした直期間における新しい展開を進めている企業群である。
「内部資源の活用と外部化」
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
新撰組への愛着 / 田中拓男 引用 Res
今日はひどい風邪のためにすっかり落ち込んでいました、辛いことは重なるものです。
暇でしたので、ミニエッセイを掲示板から日記に移行する作業を続けました。エッセイ執筆の日にちが滅茶苦茶になって絵里に叱られながら。
我ながら新撰組への想いの深さに感心、
こんなに沢山の新撰組話題を次々に取り上げてきたなんて、
それでもまだ書き足りないことばかり、
ミニエッセイの悲しさ、どうも十分想いが書き切れていないようで、読まれる方にはもの足りないでしょう。
風邪になりながら新撰組のことばかり考えて時間を過ごすのは、もしかして新撰組病かもしれませんね。
新撰組の面々が私の周りにいて、私の人生を見守っている、だから、なにかにつけてつい新撰組に話しかけてしまう。一生そうして私の人生を過ごしてしまうのかと思うと、内心やや複雑。そこはあまりに悲しい世界だから。希望が、夢が消えて行く世界だから。
長女に言わせると、はじめから滅ぶと分かっているような集団だから、私の感性にぴったりと、
古来すべての集団が栄枯盛衰を繰り返しており、人間の涙を誘っている。病気になって気持ちが落ち込んでくると、ますます滅び行く彼らのことが気になってくる。
でも、新撰組をプロセスで考えると、大きな夢や志を持ってたくましく成長する時期もある。そこながなければ滅びの意味がなくなってくる。これからはもっと若々しい成長期の新撰組に注目してみようか。
このところ私の書く文は、あまりにも悲しみの色調に染まっていますよね。英国ブライトンの大家さん(奥さん)が、タクオ、ストロングになれと、何度も慰め励ましのメールを送ってくれています。時間がすべてを解決してくれると。
こんなにして新撰組と格闘されていられるファンの方がもしおられたら、お話をしてみたいです。みなさんは、暖かい幸せの中で滅びの美学を楽しんでおられるのでしょうね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
拓のミニエッセイ、目次(最終) / 拓 引用 Res
目次(最終)
・大河ドラマ新撰組、芹沢とお梅さん(6.28)
・生きようとする女、死を急ぐ男(6.28)
・戦術と戦略、近藤と土方と役割分担(6.25)
・大河新撰組、近藤さん(6.23)
・男の決断の瞬間(6.18)
・理念を失った鴨の悲しみ(6.07,5.25)
・ドラマ「冬のソナタ」愛の悲しみ、愛の喜び(6.07)
・大河ドラマ新撰組、(5.30)
・ 男の悲劇、松平容保と義経 (5.30)
・北上旅行(5.24)
・ エンパワーメント (5.20)
・共感、参加、シェアー(5.20)
・人生選択ゲーム(6)早く破れた者と遅く破れた者(5.15)
・人生選択ゲーム(5)情報の質(5.14)
・人生選択ゲーム(4)外部環境の大変化(5.14)
・人生選択ゲーム(3)長期的な構想力ー理念、目標設定 (5.14)
・人生選択ゲーム(2)決断の時と先送り(5.14)
・人生選択ゲーム(1)男の決断(5.07)
・お琴さんと歳三の心の真実(5.10)
・歳三忌のお琴さん(5.10)
・お琴さんと酔っ払いー幕末大宴会(5.07)
・人生選択ゲーム、男の決断(1)(5.07)
・最後の土方、何を想う(5.05)
・殿内暗殺(5.04)
・二人の近藤さん(5.03)
・会津の旅(5.01)
・朝廷と幕府 大化の改新&明治維新(4.30)
・男の価値 十人十色、個性の輝き(4.27)
・歴史は繰り返すー新撰組と奇兵隊(4.24)
・男の優しさ、吉田松蔭、西郷さん(4.23)
・「新撰組!展と幕末展(4.21)
・京都の治安事情と新撰組への市場ニーズ(4.19)
・公武合体の理念と新撰組の存在意義(4.12)
・大河新撰組、箒の魔法(4.12)
・流山の近藤勇忌(4.05)
・新撰組の組織理念と市場ニーズ(4.04)
・長浜の旅(4.04)
・大河新撰組、炎と男の対決(4.04)
・桜への思い(3.31)
・江戸行政トップの複数制
・早春の京都の旅(3.13)
・新撰組ファンの集まり(3.12)
・血より志(大河ドラマ新撰組)(3.10)
・新撰組史跡を訪ねて(3.08)
・見上げてごらん、日本の美しい青空(3.06)
・新撰組の地盤として多摩の村落共同体(3.05)
・武断の血と平和静謐の血、新撰組(3.04)
・第8回新撰組ドラマ(3.01)
(それで一体新撰組はどうなるの)、
・狂気(3.02)
・もう聞き飽きた、それは悪かった、ごめん(2.28)
・村落共同体のチェック機能と永倉新八(3.01)
・多摩村落共同体の出先機関、新撰組(2.27)
・多摩村落共同体と新撰組との交流(2.27)
・村落共同体と農民土方の戦略(2.26)
・山南さん(2.26)
・多摩農民の魂を受け継ぐ土方(2.24)
・達人総司の剣とイチロー(2.24)
・永倉新八登場ですね(2.23)
・近藤はどんな罪で打ち首(2.20)
・壬生義士伝(2.22)
・心の故郷、多摩の四季(2.23)
・盛岡の模擬授業(2.22)
・土方の優しい心、法治主義へ(2.20)
・商人の開国土方と尊王の攘夷近藤(2.20)
・開国と攘夷(2.19)
・モチベーション、聖戦の誓い(2.18)/孝明天皇と徳川(2.18)
・土方の能力開発戦略(2.17)/新撰組と奇兵隊(2.18)
・新撰組の二階建て組織、異なる組織原理(2.17)/理念の齟齬(2.17)
・人的資源の維持政策、衣食住の環境整備(2.17)
・土方の商法(2.13)
・大河ドラマ5回目、結婚する男と女の幸せ(2.12)
・二人の土方(2.11)
・信頼関係、土方と松平侯(2.11)
・総司の共感力、歳さんの思いやり(2.10)
・兵站作戦、後方支援の土方(2.8)
・どうせおれは薬屋だもん、商人土方の魅力(2.7)
・土方10人兄弟説(2.5)
・三谷演出の工夫(2.2)
・技術革新のメガトレンドと戦争(2.2)
・優れた兵器は誰が持つ(2.2)
・大河ドラマ、それぞれの個性の曙光(2.2)
・町の風景(2.2)
・大河ドラマ第4回(2.1)
・マクロとミクロ 新撰組の存在意義(2.1)
・近藤勇に関する書類ざくざく(2.1)
・どうせ・・だもん、拗ねた土方の台詞(2.1)
・大河ドラマ第3回 武士よりも武士らしく(2.1)
・夫婦の情愛(1.29)
・ニヒリスト&アーチスト、三男坊総司(1.28)
・天保5年(1.26)
・次男坊土方のきかんき(1.25)
・新撰組の楽しみ方(1.24)
・血は水よりも濃い、多摩3兄弟(1.24)
・総司の女性観(1.22)
・受験生と新撰組入隊試験(1.20)
・洋服姿の土方(1.19)
・多摩の人々(1.18)
・伝通院の夢物語(1.17)
・「野村と相馬」(1.16)
・「ラーストサムライ、悲劇的な楽観主義」(1.16)
・総司の姿、あなたはどんなイメージ(1.15)
・「武士道」(1.14)
・成人式のお祝い(1.12)
・日野の資料館開館(1.10)
・大河ドラマ新撰組始まる(1.11)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
7/27日、心の中に母の小部屋
浅田さんの新しい小説「輪違屋糸里」の中で、沖田総司が母の愛を知らない人、とありました。
沖田も土方も小さな頃に母親を亡くしています。そのことが、その後の人生にどのような影響を与えていたのか、前からずーと考えていました。
この小説で、浅田さんが新撰組の激しい動きに中で悲しむ女性を描く時、このように沖田を母の愛を知らない人、だから女性の悲しみを本当に分からないのではと言わせています。
亡くなったワイフのことを思い出すと、4人の子供たちを育てるのに夢中で、時には激しく叱咤して子供の行動を厳しくしつけたり、時には子供を危険から守ろうとするあまりに、周りの人に激しい言葉を投げかけたり、日頃は他人に親切で優しい人が、子供のことになると私などとても及ばない逞しさ、激しさ、頼もしさ。子供と母親との関係は、外部の人間がまったく入れない特殊な絆で結ばれて、どんなことがあっても、たとえ、世間からほひどく顰蹙を買うような悪事を働こうと、また世の中から高い尊敬の念を一身に集めるような人間に成長しても、母親にとってはいつまでも子供は子供、自分が守らなければならない存在。その結びつきは、世のあらゆることにびくともしない強靱さ。
こうした特殊な関係の母親を幼少期に亡くして成長巣することは、その子の人生にどのような影響を与えるようになるのか。
激しく優しい新撰組のキーパーソンの人格形成を考える一つの道は、この面からかな、と考えていました。
幼少期に母親を亡くしても、心の中の世界では同じように強い親子の絆、ある場合には、現実に接する母親よりももっと直接的な関係があるのではと、推測しています。つまり、総司にも敏さんにも、心の中で、母親と親しく話をして甘えられる小部屋が、いつも大切に守られていたのではないかと。
あの個性の強い新撰組の二人に、本当に純粋な姿が見られます。
無敵の剣で血を流すあの沖田には、母親の小部屋で甘えるとき純粋な素直な気持ちになり、近くの子供たちと戯れる。心の中の母親が優しい総司に乗り移っている。
鬼の歳さんも、本当に純粋でどきっとする優しさが体に溢れる時、そこに甘える母親の姿が見えます。俳句を作るときの敏さんは、まさに心の母の部屋に入って世の厳しさを忘れ、大きな自然の息吹を素直な心で感じている。その素直な感性からあおの俳句が生まれている。
そして、一度母親の小部屋を出ると、そこには一層厳しい独立心がはじけている。
母に徹底的に叱られながら最後には泣きながら抱きしめられたあの感触を断ち切って、孤独な自分一人の世界に返る。もはや誰も止められない心の衝動と飛翔、鬼にもなり、天才にもなる。母親が側で実際に生きていると、そこで思わず立ち止まってしまう瞬間に見舞われるが、心の母の部屋から出てきた者にとっては、もはや心に恐れるものはなにもない。思い切った想念の赴くままの活動の世界に没入する。
新撰組のキーパーソンの激しさと優しさ、何人も人を殺し血を流していきた鬼の人間に、若い女性たちが本能的にその心優しさに惹かれていく。この矛盾は、小説の世界でもあまり描かれていません。
でも、本当の所は私などにはなかなか分かりません。それほど親子の情愛は強烈で複雑で測りきれない深さがあるのでしょうね。
(電車の中で歳さんと話しながらこんなことを考えていました。もっともっと考え続けます)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
7/26日、永倉のジャーナリスト魂
浅田さんの小説には、永倉さんの独特なキャラクターがよく描かれています。ひ孫の杉村さんはジャーナリスト、また小説では、永倉の親が祐筆のような仕事をしていたとあります。
前から考えていましたが、新撰組の中で永倉さんは、試衛館グループと違った非常に独特なポーズをしています。永倉さんが近藤さんのことを会津藩に直訴したり、ここが一番分からないところですが、最後に江戸の近郷で、近藤さんの子分にはならないと独立して原田と組んで戦ったり。今まで近藤さんを局長と呼び慣れてきたのに。
やはりこのとてつもない冷静さ、批判精神と、時の流れに飲まれない独自の正義感は、不撓不屈のジャーナリスト魂ではないかと思います。
小説の中の永倉さんは、激しい戦争をくぐり抜ける従軍記者の姿ですね。あの争乱の中で心の正邪の基準を厳しく保持しながら、冷静に客観的な観察を続ける。芹沢暗殺後に、近藤局長の体制が確立されて皆がその流れに靡いているとき、試衛館の昔に返り初心の思いをしっかり心に刻み込ませる、あくまで尊皇攘夷の思いを同じくする同志として、組長の京都警護の仕事をしている。
市中見回りの活動の中では、如何に与えられた仕事を十分に遂行することに頭が一杯になるのに、他方で自分たちの活動を批判的に冷静に見ている目がある。そこに納得できないものがあると、周囲との軋轢が激しくなることが予想されても自分の思いを外に発信しようとする。そのことがさらに周囲から永倉に対する不信や警戒心を高めていくことになっても。(その不満が最後に近藤とのああいう形での別れにつながったのかも)
その厳しい規律の中でリーダーの近藤を訴える度胸の良さは、ある意味で死を覚悟した男のかけか。しかも、伊東さんのように理念・思想上でどうしても避けられない対立になる場合は、もう仕方ないと思われるが、近藤さんが天狗になっている、という個人的な行動(もちろん組織論では誰が組織を引っ張るかが重要な課題であるが)に対する抑えられない批判精神から、先頭に立って組織のあり方について疑問を発信し、抵抗していく。
そして、危うくっていつ消えてもおかしくないような運命の中で、物事の推移をじっと観察しながら最後まで生き残ってしまう生き方の柔軟さ、自己抑制のきいた状況判断力、処世術のうまさ。(日頃屯所の中で土方とどのような会話をしていたのでしょうね。先日土方麻美さんと杉村さんと3人で食事をしながら、ふとそんなことを想像しました)
同じような激しい気性で同じ剣の流派で修業しながらも、芹沢の行動の素朴さと幼稚さと比較して、ジャーナリストとしての永倉の確かさ、それが結局、永倉の存在感を高め、最後まで生き残らせるパワーになっていく。
そして、組長として日々の活動をふり帰り日記をつけて後の我々に組織の活動を伝えようとしてくれる。すごいことです。皆が一度はお会いしたいおじいちゃんですね。
是非ジャーナリスト杉村さんに伺ってみたい。もう少し書きたいけど、またの機会に・・・
小説の中のいろいろなシーンの永倉さんは、こうしたジャーナリスト魂でしか説明できないような異常な正義感。そう思いながら一気に読み進みました。
(今日、ワイフの納骨式を無事終え、心の抑えられない悲しみがぶり返してきたので、ずーと「輪違屋糸里」を読みふけっていました)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月30日 永倉さんの悲劇、組織の内と外
永倉さんの悲劇なんて書くと、杉村さんから叱られそう。
あの時代に歴とした侍(125万石)の子供であることが、二つの意味で永倉さんには辛い思いになったのではと常々考えています。
別に悲劇ではないのですが、当時の特権階級の育ちがかえって人生の邪魔になったという逆説で使っています。近藤や土方は、しょせん侍になることがすべてに優先する人生の目的だったから、その逆説の意味を悲劇と呼んでも許される?
新撰組は多摩共同体の京都子会社、とどこかで書いたことがあります。要するに新撰組という組織の根っこは多摩という村落共同体、それを源流にして新撰組の活動がほとばしり出てきている。組織のコアの部分を占めるのは、まさに多摩の社会であり、そこに住む住人である。原田も永倉も斉藤も、山南さんも、その外から組織に入った者であり、(伊東さんも)、いわば多摩の住民からみればよそ者である。その上、永倉は多摩の百姓社会よりもはるかに権威のある武士階級から参加した者、しかも、剣の腕前も、人間的な魅力でも、文章力も誰もそれを否定できない大きな存在です。それだのに新撰組という多摩の共同体では最後の最後までよそ者の存在、もう一度多摩の百姓として生まれ変わらなければ新撰組のコアをなす存在として認めてもらえない。
その長い鬱積が、最後に多摩の新撰組崩壊に当たって、私は近藤(多摩の新撰組)の子分ではない、という激しい抵抗の言葉になって出てくる。じいさん、後で近藤さんのことを思い出しながら、何度も何故にあのような言葉を近藤さんに投げかけたのかと後悔したでしょうに。
まだあまり言いたくありませんが、名門中央大学に他の有力私大から奉職した人間には永倉さんの悲劇がよく理解できます。大学改革に奔走していた何年も経過した頃でも、有力な職員の方から、お宅の大学は?、と聞かれ、永倉さんの悲劇ですね。これが日本社会の姿。
大学で毎年1000人を越える学生を教え、500人を越える優秀なゼミ生を育ててきても、大学改革の作業に中央の建学の精神を訴え、伝統の力の再生を訴えても、神宮球場で大学の校歌を歌い続けても、常に耳に聞こえてきるのは、外の人は頑張っているのに、中央の内部の人間はどうしたのか、という変なほめ言葉。
定年間近になって厳しい状況に直面する大学院の立て直しに引っ張り出され、20年間(勤めは30数年)で初めて自分がリーダーとして周りの人々に協力をお願いする立場になって、苦笑い、
組長として組織に協力することに慣らされていても、どこかで永倉さんは多摩の共同体社会に融合できない周囲の環境に気づいていたのでしょう。私は学内で政治音痴、つまり学内の政治的なことは自分にとってどうでも良いこと、学生が喜ぶことに全精力を集中しようとしてきましたので、別段不満は残りませんでした。
もちろん、永倉さんも新撰組が大好き、近藤や土方を心から追悼する気持ちは確か、私も中央大学が大好きで学生の就職に会社にお願いする時も、いい大学ですよ!。
日本社会のどうにもならない遺伝子ですね、永倉さんの悲劇は。
(今日は、これからまた新人学生たちと富浦で合宿、昔は年間10回を越える楽しい合宿でした。今年は9月に死の3年論文執筆合宿と大学院合宿。新人のぜみは女性が13人、男性が3人、東京女子大の合宿を思い出します、夏になると、軽井沢の寮に行って皆で軽井沢の森のサイクリングをしたものでした。彼女たちは、今は子供の受験勉強相手で暑い夏も大変でしょうね)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月1日 永倉反乱
大河ドラマ、最後のシーンが少し芝居がかっていましたが、永倉と近藤との和解のシナリオはなかなか良かったです。三谷さんも浅田次郎の泣かせ節になってきましたね。
実際は、永倉は上京してきた多摩の有力者に、近藤さんが天狗になってきたのでなんとか忠告して欲しい、と頼み込んだ後(新撰組は多摩共同体の京都子会社)、やむなく会津藩に建白書。
近藤さんは、新撰組一本の土方と山南・永倉との間に立って悩んでいるようですが、自分も土方戦術(武士になるという戦術)にかなり意気揚々と乗っているのではないでしょうか。
この近藤ドラマは、どうも近藤さんの人柄の良さばかりを強調しているようです。確かに仲間を引きつけるリーダーとしての人間的魅力に富んでいるが、それだけの人間でなかったのではないでしょうか。土方以上の政治的な駆け引きをする戦略家という側面も。
政治音痴の土方だけでは、譜代大名に引っ張られる幕府勢力に強く対抗しながらも、京都の政治舞台のど真ん中で、幕府打倒の反幕陣営と命をかけて激しく渡り合うという、幕末のきわどい政治の舞台回しをできなかったはず。
会津の松平候の御前であれだけの芝居ができるのは、余程の傑物ですね。
8月2日 永倉と土方近藤、飢える者と飽食の者の差
学生時代にしばしば山に登って何日も経つと、もううまいラーメンが食べたくてたまらなくなり(夢の中)、帰京するとまずラーメン屋に直行。これは人間の一番原始的な物欲の話です。ヘビースモーカーも激しい禁断症状に苦しむようですね。
冬のソナタ、チュンサンが自分の父親を懸命に聞き出そうとする、成人した自分の生活にもはや何の直接的な関係がないようですが、どうしても父親の存在を確かめたくて悩み苦しむ。(もっとも恋人が妹というショッキングな事実に直面して、真剣にならざるをえないが)
親から溢れるほどの程の愛情を注いでもらって育った子供以上に、親を早く亡くした子供の方がより強烈に親のイメージを探し求め、常に心の中に親の小部屋をしかっかり持っていると言われます。早くに母を亡くした沖田、土方については、前に書きました。
これはもはや物欲のようなものでなく、人間本性に近い欲望、本能(人間としての愛情)、本来誰にでもあるものが自分にないと、その欠乏そのものが、人生の生きる道で人間の思考や行動に非常に強い影響力を持つようになる。
ワイフが亡くなると、本当に毎日、すぐ側にいないことがこれほど痛く辛く感じられることか、それで自分の心を苦しめることかと、喪失感の強さに改めて驚いています。毎日の生活では、ワイフはまるで空気のような存在で、私の愚痴話を自然と聞いてもらっていた。
さて、永倉と土方・近藤との対比は、この飢えの強さによるのではないでしょうか。
永倉は松前藩の武士の出身、土方・近藤は直轄領の農民。かっては武田信玄の武士団の血を引いて帰農した多摩農村社会の出身(奇兵隊も長州の武士の血を引く帰農農民、それ故に戦争では武士よりも強かった)
武士が威張る厳しい身分社会で農民から武士になることは大変な出世である。しかも、堕落した幕府の旗本ご家人を見下すような立派な武士になることは、本人にとっては非常に大きな栄誉であり、何が何でもやってみたい人生の賭け事になる。人生の強烈なモチベーションになりうること。
この面で永倉さんは(身分上昇の)飢えを知らない、今の身分に満足して自分の信念を通せばよいだけの人生。
それに対して、近藤、土方は、自分の様々な気持ち欲望をどんなに殺しても、しゃむにむ立派な武士にならなければならない、その残された道は、新撰組をもっともっと強くして京の治安維持で実績をあげ、会津藩の松平候にそれを認めてもらうこと(会津候に建白書なんてとんでもないこと)。
そして、新撰組を強くするには軍隊式の強固な命令組織を整えて鍛え、目標(治安維持)に向けてすべてを踏み越えて猛進すること。
この修羅場では、江戸から来た同志的な親しみも、尊皇攘夷の信念も、脇におかれている。俺たちは武士になるまではすべてのことに辛抱しよう。
永倉さんにとって、武士身分に飢えた狼の一団に入ることはどうしても素直に認めれないこと、自分の立つべきポジションを自分独自に確保しておかなければならない。
そのために常に自分と新撰組との日常活動を冷静に振り返り、自分なりに心で批判的に評価していかなければならない。まさにジャーナリスト魂。
生きるための飢えがないだけに、この仕事は、ある意味では死をかけた戦いの激しさに欠けるかもしれないが、逆に、常にコアの組織構成員に対する反逆児として厳しい逆風にもじわりと耐えていかなければならない。
日記に心の殿を書きながら永倉にはそれだけの心の強靱が備わっていた。最後になって、近藤さんの子分でないという言葉に噴出してくるが。
(「涙そうそう」、森山さんのとても良い歌詞、若い頃森山良子さんの追っかけのようにその澄んだ歌声に心酔していましたが、この年になっても感動。今日一日パソコンで十数回繰り返して聞いても、楽譜の微妙な表現ができません。年寄りには難しい。昨日ロンドンののど自慢の予選で何人もこの歌を歌っていましたね。でもチャレンジして秋にはカラオケの十八番にしたい)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
★ 8月2日 書状を人前で破る
テレビドラマの二つのシーン、そこには意味の深い感動があります。
土方が新しい新撰組の組織図を皆の前で破り捨てる。
松平候が永倉の建白書を、近藤と建白書の提出者の前で破り捨てる。
若い頃、長い間親しく文通をしながらも、最後には大切に保存してきたものすべてを破りすて燃やしてしまう。燃える火を見ながら、その時の心の思いはどのようなものでしょう。溢れる情におぼれかけた誰もがもつ、せつない心の傷の一つでしょう。
すべての思いをもう水に流してしまおう、もう諦めた!
こんなにしてまで懸命に忘れようとしても、心の傷がまだ痛む!
すべてをごわさんにして、明日からまたやり直し!
今に見ておれ、おれだって、このままではすまないぞ!
さて、永倉、土方の書状が破られる思いは、
8月3日 続き
建白書の提出で永倉の新撰組内における立場は、実に微妙になりました。
組のリーダーに反旗を翻して上部組織に内情をばらまいたのですから、組織の厳格な規律保持の立場に立つ土方から見れば、試衛館以来の仲間の永倉であれ、これは完全に組織における重大な責任問題です。
土方は、この直訴の書状提出に誰が加わるか注目し、書状に書かれた内容そのものよりも、反乱に参加すること自体を非常に重くみています。
どんな内容であれ、内部告発は日本社会では非常に暗いイメージでとらえられています。組織内部の問題は、内部ですべて処理することが当然と考えられているからです。その結果、個人よりも組織を重視する伝統的な日本社会では、組織の不透明性、秘密性が根強く残っています。裏帳簿などは、組織の中で暗黙裏に処理されている金があることを示しています。
こういう厳しい状況で永倉はどうなったか。
松平候が組織の代表者近藤の前で、永倉の書状をびりりと破り捨てたのです。所属する上部団体の最高責任者、しかも、会津藩の殿様が、皆の前で書状を自らの手で破ったのです。
この書状はもう用のないものとして、殿様は厳しく命じました。今後も近藤・永倉ら新撰組一同、心を合わせて忠義に励めよ!!!殿様直々の厳しい御沙汰です。身分社会では、これは重大な意味があります。(実際は会津藩の指令でしょう)
もはや土方は、松平候の書状破りに対して、まったくなんの抵抗もできません。
生殺与奪の力を持つ殿様の最終的な判断が出された以上、新撰組の幹部もそれに素直に服さざるをえません。万一永倉などを反乱の罪で処罰すれば、松平候の処置に抵抗するものであり、会津藩のお抱え組織のメンバーとして殿様への忠義に反する行為になります。(お抱え組織ですから少しの独立性がありますが、武士に取り立ててもらいたい一心で殿様に忠義を励んでいるのですから殿様に従うしかありません)。
それ故まさに、士道にそむくもの!自分が切腹しなければならない。あるいは、会津藩から上意討ちとして刺客が出されます。
松平候の書状破りは、人命に関する非常に重い意味が含まれています。永倉の反乱は処罰の対象にするなよと、厳しく命じたのです。
(実際反乱の一味はお咎めなしで終わりましたが、後になって下役の者が、たしか別の罪で組織から離れている筈です)
バックツザヒューチャーで、ひ孫の杉村さんがあの場に取材に来ていたら、
”これで私も生まれる”
ほっとしたことでしょう。良かったです!!!
切腹というあの厳しい規律を持つ新撰組で、永倉の命が殿様によって保証されたのですから。
そこで不思議なのは山南さんの立場、ドラマでは建白書を出すように永倉に教えているのに、松平候の前には現れていない。もしあのとき松平候の御前で書状破りの措置を受けていたならば、後で何があろうと、組織の規則違反で切腹することもなかったのに。
そこがインテリ山南さんの不思議な心模様、
厳格な軍隊組織では、この優柔不断な迷いの姿勢が死を招いた、永倉のような直情猛進の姿勢が命の保証を
得たのに対比して。
テレビを見ながら、杉村さんの出生の秘密をかいま見たような一瞬の息飲む思いでした。殿様が書状を破るのですから。
ということで、書状を破るのもこのような状況の違いがあります。
(私の経験も書きたいけど、青春時代には涙の経験が多いほど心の中の膝がより豊かにできるのですよね。他人への思いやりの気持ちや、他人の悲しみ苦しみ悩みへの共鳴の心は、涙を滋養にして育ってきます。
今悩んでいる若い方、神様からあなたの心に滋養が送り込まれているのですよ、もう少しの間、辛抱すること、頑張りましょう。また晴れる日が来ますよ。)
さて、土方の書状破りはどうなのでしょうか。これはまさに商人土方のやり方。
商売では信頼関係が最高の重要な徳であり、それを保証するような書類が非常に重視される。武士の世界のように、武士に二言はない、なんていって、相手を信用させとうとしても、商人の世界では、きっちりそれを保証するもの(借用書、契約書)が非常に重視されます。
このような信頼関係は、実際に契約の当事者によって書状で確認され、認め印で有効なものにされています。この契約書を勝手にびりりと破るのは、信頼関係で成り立つ商取引の場では大変な罪になります。詐欺罪です。商人土方はこのことを充分知っています。
逆にどんな書かれたものであっても、契約の当事者が承認したという有効な印がなければ、その書状は紙切れと同じ、なんの価値もありません。
土方の破ったのは、まだだれも承認していない素案です。だから商人の土方は平気でこのような書状を破り捨ていることができます。
ただし、土方の心の中では、そんな軽い書状ではありません。みなの承認が得られなければ、何度でも書かれた書状を破り捨てるが、土方の心の中に書き込ま
れた書状は、決して破れません、まさに武士に二言はない、土方の信念の文字が綴られていますから。それが、あのような芹沢を殺したという怒りのスピーチになったのでしょう。
商人のやり方で物事を進めながらも、それを支える精神はまさに武士の魂、土方のすごいところです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
武断の血と平和静謐の血、新撰組
軍兵衛さんの雨に打たれるシーンを見ながら、
この時代は狂気の時代、と書きました。
長い歴史の流れで日本人の体質を見ると、
そのDNAの中に、二つの相反する闘争の血が組み込まれているようです。
一つは、激しく覇権を争い、勢力を広げようとする武断の猛々しい武士の血、
もう一つは、自分達の伝統的な生活圏を守り、外からの侵入に対して自衛のための守りを固めようとする平和な農民町民の血。
新撰組は、日本人の後者の血をより強く引き継いでおり、薩長の官軍、およびその後に続く帝国主義国家は、前者の血をより強く引き継いでいる、
新撰組ブームは、表面上の荒々しい殺人劇にも拘らず、日本人の持つ本質的な静謐平和の体質に反応したものであり、日本は、こうした農民国家、町民国家である限り、自衛を旨とする新撰組の人気は衰えないかもしれない。
戦国時代、有力な武将は常に兵力を強化し、近隣諸国を刈り取って勢力圏を拡大することにすべてのエネルギーを投入していた。その覇権争いの行き着く先が信長の全国統一。
それを引き継いだ秀吉は、猛々しい武断のエネルギーの暴発として隣国朝鮮に出兵、日本人の血の中で沸騰する武断の力のはけ口を外国侵略に求めた。
こうした武断の争いの中で、農民は耕している土地を荒らされ、また足軽として戦争に借り出される。また町民は戦争への献金として資金協力を強いられる。社会的な弱者が、勝者の誇りの蔭で、その生命や財産が踏み付けられている。
徳川幕府は、こうした国民の困窮を知って、もはや戦争や争いが起こらないような社会システムを作り上げようとした。戦争で活躍する場がなくなった武士たちは、徐々にその猛々しい武断の血が薄まってきて、町民国家として長年の平和の中で農業生産と商人による商取引が活発に行われた。元禄文化の爛熟と経済的な繁栄では、もはや日本人の血の中で猛々しい武断の要素が失われてきている。
長年、ただ鎖国による平和の中で、国内の争乱を避けるために構築された社会的システムは、人々の考えや生活様式の硬直化を招き、社会的な流動性が奪われることになった、その結果、社会の進歩が止まって西欧列強から大きな遅れをとることになった。平和ぼけの深刻な問題がこの幕末に時代に一挙に表面化。
西国の雄藩では、関ヶ原の争乱における敗北とそれに続く徳川幕府による厳しい措置に耐えながら、伝統的な武断の血をそこまで弱めることはなく、覇権への夢を持ち続けていたから。
薩摩では、関ヶ原の敗戦の中で島津の大将を守りながら逃げまどい、ようやく危地を脱した悲しい話が土地に長く伝えられている、その長年の怨念による徳川リベンジへの闘志は、代々、薩摩独特の激しい打ち込み武術による闘いの訓練などを通じて強められてきた。武断の血が騒いでいつか外に暴発する勢い、その機会が黒船来襲で。
他方、多摩の農村村落共同体では、自衛のための武術の訓練が活発に行われたが、これはあくまで村の平和を守るための武力。新撰組を支えた天然理心流は、こうした農民の自衛力を強化する兵法であって、覇権を求めて外を侵略するための兵法ではない。
「多摩地方の組合村では、野良荒らしや、浮浪浪人の押し借り、浮浪者の空き巣狙い、押し込み強盗の撃退のために、大庄屋は若者らに天然理心流の入門を奨励していた」(今川徳三「沖田総司と新撰組」54頁)
京都においても、幕府の触れ書きが、浪人、脱藩者、浮浪者などによる相次ぐ動乱の中で人々の生活を守るように、度々指示が出され、そのために新撰組が先頭になって自衛の治安活動に出動する。激しい殺戮を繰り返しているが、基本的には、覇権を求めた武断の血に対して、平和を求めた自衛のための静謐の血。
(土方が函館の陣を守り抜くと、おそらく新しい土地の開墾と北の守りを兼ねた政権が続いたでしょう)
やがて、勝利した武断の血は、もはや国内でその発露の場所がなくなり、韓国征服への野望(征韓論)、台湾出兵による清との武力衝突の野望、
(あれだけ幕府の開国政策を攻撃して攘夷の実行を迫って討幕の闘いを進めて来た責任者(大久保など)が、戊辰戦争の最中に外国に出かけ、今度は積極的に西洋のやり方を真似ようとする、さらに、西郷等は、隣の韓国に開国を迫るなんて、私にはよく分からん!)
武断の血がもはや抑えられなくなった勝者の側では、方々で武断の武士の反乱が次々に起こり、内部分裂、
西郷は薩摩に籠り、武士の猛々しい血を西南戦争で昇華しようとする。戦わないと、そこで死なないと、武士としてもはや、この猛々しい血の騒ぎをおさめられない。(大久保には、土方に似たように、武士だけでなく町人としての組織経営の血が豊かに流れたいた、沸騰する武断の血をコントロール)
さらに、長州のドン、山県は、新たに天皇の威を持ち出しながら、富国強兵を目的にした武断国家の建設へ、強力な軍隊の独走が始まる。その行き着く先は、隣国への侵略戦争であり、日本の敗戦、
その後になって、日本は再び武断の血の猛りによる民族の悲劇を反省して、平和で静謐な町民国家、新撰組の伝統の自衛のための武力に立ち戻る。
今新撰組への回帰がブームになっているのも、こうした長い歴史の中で民族が抱える相反する二つの血の争いを背景にしていたのでしょう。人々の心が、戦後の平和の方向に傾いてきているからかも。他方で、武断の血の沸騰による海外侵略の悪夢の再現を怖れながら。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月4日 組織の指示系統と説明責任
夏の暑い日が続いています。
(以下暫定の思いつきの文章、後で修正します)
土方と永倉との関係を考えています。
新撰組という組織を管理運営するには、そこに何らかの管理システムが必要になります。
土方は新撰組を強化して重大な事態の変化に柔軟に迅速に対応できるような機能的な統一的組織を作り上げようと考えている。局長、副長の下に組長を配して、現場で戦う単位としての組を中心に組織を動かしている。
組長は、ローマ軍の百人隊長のようで、どれだけ優秀な多くの百人隊長を鍛えるかによって、大きな争いの帰趨が決まってくる。シーザーが強かったのはその下の百人隊長がシーザーの人望に惹かれて集まっており、戦いの前に組織として徹底的に鍛えられていたから。
新撰組も特に優秀な組長の存在が、組織の活動力を非常に高めている。
問題は局長、副長と組長との間のコミュニケーションである。
もともとほとんど情的な関係でしか人間の結びつきがなかった(近藤さんの人柄が気に入ったからついてきた連中の)世界に、戦うための無機質的な要素を多く含んだ、ピラミッド式指示命令系統を組織の中に植え付けようとする。しかも、前からの仲間である組長はそれぞれ一人でも非常に優秀で、剣の力は、副長に匹敵するようなレベルである。京都警護の仕事では、戦いが集団で行うと言っても、基本的には個人個人の剣の力量が争いにおいて決定的に重要な要素になっている。そのために、腕に自信があればそれだけで命令指示のミラミッド型の中に組み込まれて誰かの下につくことに心理的な抵抗が強くなる。昔のような1対1の争いという武士のメンツが、まだ強く個人の行動を規制している。
土方は近代的な組織として機能的な活動を重視して、個人の剣の腕前には、組織管理においてはそれほど重きをおかない、新撰組という集団でどれだけ強くなるか、探索なども含めた総合力の強化が最大の課題である。もちろん、現場での戦いでは、個人的な腕前が決定的に重要であることはよく理解して、人材配置の面で個人個人の力量を配慮している。
永倉は、小人数の仲間であうんの呼吸でやってきた試衛館時代のやり方が自然なものとして考えている。このギャップを埋めるためのヒューマンコミュニケーションが不可欠になる。
試衛館の頭領としての近藤さんが間に立って二人の連結役をしようとしている。しかし徐々に、近藤さんそのもが土方の戦略に組み込まれていることが明白になると、もはやその役割を果たすことができない。近藤さんは天狗という批判は、個人的なものでなく、近藤さんを局長にしたピラミッド型命令系統への批判である。
ピラミッド型の近代的な組織に、それぞれ独立した自意識の強い仲間を組み込むには、そこには組織内の説明責任が非常に重要になる。
組織の理念をベースにして組織がこのように作られ、その中で組織としてこのような活動が展開されていることを常時説明し、メンバーがそれに納得し、情報の共有化を図っていかなければならない。
それぞれ自立したメンバーで構成されている、軍隊的な組織の管理運営の難しさです。、上からの一方的な命令指示系統を明確に確立しておかないと、機動力の高い迅速な組織活動ができない、同時に自立した個々のメンバーの組織活動へのモチベーションを高めるために、どこかで双方向の伝達経路をもっていなければならない。
ここで説明責任とは、単純にメンバーに説明すれば済むというものでななく、メンバーのやる気を高めるために、その組織の決定にメンバーも参加して協力しようと言う姿勢を引き出すような双方向の話し合いが不可欠である。
新撰組が最強集団と言われたのは、他方で近代的な指示命令系統を確立して、組織として機動的な活動力を高めていた(また集団で取り囲むという集団的な戦法をベースにした)ということと、百人隊長の組長が組織の一員として強い帰属意識ももって現場での命令指示を的確に行ってきたことがあげられる。
組長がうたれた場合は、その構成員はすべてそこにとどまれと言う軍律などは、ローマ軍以上に厳しいですね。
問題は、土方がどれだけ説明責任の重要性を認識していたか、認識していてもうまく組長にコミュニケートしたかどうか、永倉反乱も土方には貴重な教訓になったのでは。
それにしても、土方の天才的な組織作りは現在でも非常に興味のある研究課題です。従来の上からピラミッド型命令系統だけで動く会社組織から進化して、情報化社会では中抜き組織、すなわち、組織の中間管理職がなくなって現場のリーダーの管理能力、判断力がますます重視されてくるようになっています。従来は、従業員には組織の命令に忠実に従うことが最大の徳として強制されていたが、今や個人個人の自立した判断能力、管理能力にまかせられる。
企業間の戦いでは現場の力量がますます決定要因になっている。販売組織に強い力量をもつトヨタ自動車。
その時、情報化社会ではネットを通じてトップと現場の百人隊長との間で常時情報と意志決定のコミュニケーションがなされている。ビルゲイツは何百のメールに返事をしているとか、ヨーカ堂の鈴木俊文さんも長年全国に散らばった現場責任者を集めて密接な意見交流会の積み重ねが今の成功のもと。
現場との双方向流野中で、現場の百人隊長のモチベーションをどれだけ高く高められるかがトップの最大に仕事になる。
シーザーは負け戦になってくると、最前線に出て戦う現場の兵士を叱咤激励して戦線を立て直した、組織のトップが最前線の人々に戦う強い姿を見せることが、モチベーションを高めるためにますます重要になっている。
土方の組織的な指令系統の中で、近藤さんは池田屋で自ら切り込んでいく、その姿が永倉さんを納得させる。
しかし、新撰組の発展とともに、どうも近藤さんは政治に熱中して戦いの最前線では姿を消してしまったようですね。
No
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
★ 8月6日 士道そむくべからず
またお呼びがかかって盛岡へ、
世の中には、捨てる神もあれば拾う神もある、美しい景色の盛岡へいらっしゃい、という一声に誘われて、一泊旅行です。
吉村さんの故郷でのんびりヨーロッパの旅の計画を話してきます。
新渡戸稲三の故郷、武士道のことも考えてきます。
私の大学院改革案は、いつも研究科の理念から書き始めます。今進めている研究科組織の再編成は、リエンジニアリングといって、組織の理念を再検討し、その上で教育システムがそれを実現するようにうまく効率的になっているか、チェックしています。
その上で個々の改革案を起案しますが、それは、提案、趣旨、内容の順に具体的な文章で提示し、研究科委員の先生に議論してもらい、最終的に決定していきます。みなさんのすばらしいアイデアを伺うながら、沢山の起案章を作るのは大変な作業ですが、いつも委員長の職責として一人でやっています。
こうした個別の改革案は、現在30〜40案程具体化しています。
大切なことは、理念に沿って研究科組織全体が整合的に新しい姿に変えられているかということ、
それを常時確認するために改革工程表を書いて、改革作業の進行に関する全般的な管理を行っています。常に理念から出発し、理念に帰る、というプロセスを大切にしています。
テレビでは、土方はいよいよ新撰組を強化したいという理想に燃えて、新しい新撰組作りを着手しまし
た。
まず土方も理念の明確化から始めます。
新撰組の理念は武士道、士道を全うすること。
規則の第1条は、まず、われわれの新撰組は、武士として誠を貫くという、高い理念を明確にして隊員に意識改革を行う。
ここで士道とはどんなものであるか、詳しくわからない、けれど、理念として武士宣言をしている。
だから、一番最後の切腹も、武士として最高の栄誉である。別に厳しい規則でなく、武士らしい罰を受けること。
昨日新撰組会話が盛り上がりました。しゃべりしゃばり疲れるほどに、長い日本歴史の道をいったり来たり。絶えず新撰組と比較しながら。ベテランの隊員(学生)、正午から夜まで本当にお疲れ様でした。
このシーンの会話は:
町人、浪人などが、新撰組に入ってきて、一体どれだけこの理念を理解して組織的な活動のモチベーションにしたのか、疑問が出されました。その証拠に、切腹とは名ばかりで、腹に刀を当てるだけで打ち首同然に殺しています。武士という高い理念がどこかに消えてしまう。
土方の一番辛いところでしょうね。武士を前提にした隊員への規則が、武士なんてよく分からない人に適用する、そこに人間味をなくした残酷さが生まれてくる。
勘定方の河合さんのことです。
★ 8月5日、局を脱するべからず / 田中拓男 引用 Res
最近特に優秀な若手の先生が他大学に移られることになり、自分の学部教育の仕事を近い将来お任せしようと楽しみにしていただけにもうもう大ショック。
今年の春も私の研究科で2人も他大学に移られて、残った学生の面倒をどうするかで大変な思い。
何で学生に人気のある教授が他大学に逃げていくのか。大学の組織に基本的な問題があるのでしょうけど。
私も若い時にどこか別の大学に移りたい、環境を変えたい、としばしばぼんやり考えたものでした。
今はもう定年前、年をとりましたが。
アメリカの大学では、優秀な先生ほど他大学から引っ張りがあって、転々と研究環境の良い大学に移られる。
問題は、組織の管理者の立場です。祝福をしながら、さて後をどうしようかと、辛い立場に追い込まれる。どの組織も優秀な活力のあるメンバーに支えられて活発な活動が展開されており、ヘッドハンティングにあう教授ほど、組織にとって貴重な人的資源、なかなか余人をもって代えられない人です。辛いです。
土方が、局を脱するべからずと、切腹の厳しい罰則で隊員を新撰組に拘束したが、切腹は別にしてその気持ちはよく分かるよう、
プロ野球でも一定年限選手を拘束することで初めて組織活動が維持されている。無理に外に移ろうとしても選手生命を絶たれるだけですから、まさに切腹ですね。
では、新撰組では何故にここまできびしく隊員を拘束したのか。
通常貴重な人的資源は、長年組織の内部の継続的なで鍛えられ蓄積されていきます。
科学者でも、個人的な才能努力に負うことは当然であるが、研究所という組織の中で、研究環境をうまく活用して研究成果をあげている。だから、簡単にここでの研究成果をもってライバルの企業に移られると、大変。
企業の秘密が流出しないように、退職について厳しい制約条件を研究者に課している。現代の切腹命令は裁判所による持ちだし禁止とによる損害補償の判決。
新撰組の場合にも、外からなかななか分からないような、組織としての重要な機密性の高いノウハウが多くあります、例えば、市内見回りの作業に関する組織の機密情報。これが漏れると待ち伏せなど隊員の危険性が高まります。したがって、土方が情報保持を重視した結果、隊員の脱退を極度に嫌ったのでしょう。
しかし、本音は新撰組への帰属意識の問題だと思います。高い報酬と武士になれるという強いモチベーションで隊員を組織内に取り入れて、内部で徹底的に鍛えて付加価値をつける。
その時、新撰組のような危険な仕事では、隊員の死をかけたやる気がもっとも重要な要素です。単純に高い報酬や武士への望みだけでは、この危険な仕事にいつまでも自分の生死のすべてをかけることは難しいことかもしれない。それができるのは、自分は、京の街で恐れられる最強集団新撰組に所属するという強い誇りや自意識です。
、機会があれば逃げだそうと思っているいる連中は、怖い仕事のまえには完全に逃げ腰になりやすいが、これがきわめて危ない。現場で組織的な行動を壊してしまい、敗北につながるから
(宇都宮戦争で逃げていく兵士を土方は切り捨てる、もちろん後で篤く供養するが)
土方流の帰属意識を高める方法は、やはり厳しいものですね。それは背水の陣、退路を断ってここの組織で前向けに活路を開くしかない、所属する組織と運命をともにしてこそ浮かぶ瀬もある。
退路を完全に断つことによって隊員の気持ちを前に引き出そうとする。厳しいように見えるが、会津藩のお抱えとして危険な京都警護の仕事を充分やり遂げるには、内部の意識をこのようにきびしく整えていなければならない。
それでも多くの平隊員がいろいろな段階で脱走していますが、それは仕方ないこと。組織への貴族意識が希薄な隊員には、危険な仕事を任せられず、むしろ組織から去ってもらった方がよい場合にもある。
ただ問題は、このような退路を断って強制された帰属意識は、本当に長く組織の活力を高く保持するためのエネルギーになるかです。
個人個人について、組織の活動へのモチベーションは、組織の決定に自発的に参加し、その成果をともに喜ぶという側面がどこかになければならない。
ただ奴隷のように力で抑えられて組織に縛られる状況では、組織のために尽くそうという前向きの気持ちが徐々にすり切れてきます。
山南さんは、土方が支配する新撰組の意志決定のプロセスから拒否されるにしたがって、新撰組への帰属意識が薄れていったのでしょう。自分も自発的に新撰組の活動に責任をもって参加するのでなければ、もはやここにいても仕方がないと。
組織への強烈な帰属意識をつけて組織的な活動へのモチベーションを強めるという土方の戦術が、きびしく隊員を管理するだけの道具になってしまうと、かえって、帰属意識を弱めて自発的な活動意欲を阻害してしまう危険性がある。
土方は、まだ若くてこの辺の危険な諸刃の刃を使い損ねたという面も否定できないと思います。
(辞められた先生には、大学であれだけ中心になって活躍されていたのに、やはりどこかで組織の中にとどまりきれない不満があったのでしょう。
もちろん、教授職なんて、本来個人的なものですから、もともと個人の利害がもっとも重視されるのは、当然のことでしょう。あまり組織への帰属意識を問題にすることはないのですが。
学生にメールで、彼女の教わった先生が他大学に移られるよーと、というショックを教えた時、メールの最後に”・・先生かカムクバック!!!(映画では、シェーン!カムバック、でしたね)。
学生も私の声にこだまを返して、カムバック!!!。なんとももったいないなー)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月8日 新撰組には武士道精神?
吉村貫一郎の故郷、盛岡、新渡戸稲造さんの碑、
落ち着いたお城のある街を散歩しながら、武士道について考えていました。
吉村は、故郷の家族を心より愛し、苦境の家族を支えるために脱藩までして、出稼ぎのような仕送り生活、いつも心の中には愛する家族が生きている。
家族に送金するお金が得られるならどんな嫌な仕事でも引き受ける、かって藩校で剣道の師範として若い武士を育てていたのに。新撰組の中では、特異なキャラクターです。
李登輝「「武士道」解題」によると(150頁)、古くから
「もののふ」(武力をもって公に仕える武者)
「つわもの」(合戦をなりやわいにする兵)
「さぶらい」(官人や貴族の警護や家政を受け持つ侍)
という言葉があり、平安時代末期にはそれが一つに収斂して「武士」になっていったと考えられています。
新渡戸稲造先生も、「武士」という長い歴史の中でも、いわゆる「武士道」という名の高貴な精神的規範が確立されるようになったのは、
「12世紀末、源頼朝の制覇と時代を同じくするものである」と述べています。(151頁)
すべての土地が京都の公家階級に所属するという荘園制度、
13世紀になると、やがてその古い制度を突き崩すように、関東に流れてきた土地なし浮浪者が、未開の農地を開墾して自分の土地にしようとするようになる。それを守るには、武力を備えた新しい武士階層が必要で、その統領が鎌倉幕府の頼朝、
関東武者は、京都の公家から自立して自分自身の開墾地を所有し、その新しい土地制度における公的な権威として鎌倉幕府の成立、頼朝が関東武士のゴッドファーダー。
ここから統領(保護者)への強い忠誠心が育ってきたと思われます。
自分一人では公家から独立した自分の土地の所有権を守れない。統領の頼朝に対する忠誠心を重んじることによって自分の土地の権利が守られる、そこから武士という行動規範が生まれてくる。
こうして新しい時代を切り開き、関東を中心に新しい土地所有制度を確立するようになる。
(その意味で京都の公家から爵位を受ける義経は時代の流れの裏切り者)
こうして強い地位を確立した組織保護者(統領)への忠誠心が、武士階級の基本的な特徴になる、
殿様のためなら喜んで命を捧げるという忠誠心と勇気のある行動、
お家の安泰が、個人の利害をはるかに超えて重要な行動規範になってくる。その意味で脱藩は、殿様への裏切り、死に値する。(局を脱する者は切腹)
公的な正義を体現する殿様への強烈な忠誠心は、組織に所属する武士として、組織の名誉のために”名を惜しむ”という行動規範につながってくる。
(ただ、今風に言えばここは難しいところ、お家のためなら社会的不正義でもやるのかどうか、殿様は絶対的な社会的正義の具現者という前提そのものが受け入れられないとどうするのか)
武士の忠誠心は、単純に殿様の命令にすべて忠実に服するということだけでなく、公的な正義の具現者である組織(殿様)の名誉を重んじるという考えから、自分の日常的な行動も名誉のあるものであるべき、という社会的正義感の意識が常に強く働いていなければなない、そこから、武士しての立ち居振る舞いに自己規制が非常に強くなる。
「武士にとって卑劣な行動、曲がった行動ほど、忌むべきものはない」(新渡戸稲造)、それが進むと「武士は食わねど高楊枝」
(新渡戸稲造は、さらに諸々の徳について、武士道の本質として取り上げるがここでは省略します)
さてさて、士道そむくべからず、新撰組が厳しく組員を戒める、その武士道とは、果たしてどのような内容であろうか。
局長近藤は、果たしてすべての新選組隊員の本当の保護者(統領)であろうか。新選組として実現すべき社会的正義とは何であろうか。”武士として名を惜しむ”という行動規範が組織構成員の心の中に浸透しているのであろうか。
選挙の公約のように、これは”武士宣言”のスローガンであって、実際の行動における実効性が乏しいのではと懸念、それであるのに、切腹という武士の厳しい規範を導入している。
(今日も暑い日、お墓参りもあり、この件はもう少しゆっくり考えてみます。)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月9日 長崎原爆の日、尊皇攘夷運動を思う / 田中拓男
尊皇攘夷と狂乱の戦争
九州は時代の先端を行く開明的な地域、特に長崎は、オランダを経由して西洋の新しい知識や技術(医術)を輸入する大切な窓口の役割を果たしていた、
お隣の佐賀では、開明的な鍋島の殿様の指導のもとに、輸入された技術知識を充分吸収し、独自の新しい技術開発の試み、アームストロング砲のような当時の先端的な武器までも。
九州は時代の先端を勢いよく走る土地。
その長崎が、最先端の西洋科学技術による悲劇の地に、
今日長崎に原爆が落とされました。
なんとも痛ましく悲しく、ここまで人間が残酷に人を傷つけ苦しめるものなのか、戦慄する思いで原爆の悲劇を思い出しています。本当に獣のようで恐ろしい世界ですね。
このおぞましい獣性を、高貴な理性によってどこまで克服できるか、人間みなに科せられた原罪と贖罪
8月になるといつも思うことですが、日本の指導者が何故にこのような悲惨な戦争に国民すべてを引き込んでいったのでしょうか。
人間一人一人の幸せは一体何でしょうか、そのために国が何かしなければならないのでしょうか。
人々が幸せで豊かになることは、国が海外にまで領土を広げることでしょうか、海外に政治的軍事的覇権を確立して他の国の人に恐れられ、尊敬されることでしょうか。
どうも理解できない無理があるように思います、資源の乏しい日本で、国民の生活を守り食べさせるために、武力を行使して海外に出るという論理には、(いつも分からなくなります)
さて、幕末の尊皇攘夷運動の高揚期、すでに日本はどこか間違った道に進む危うさがあったのではないかと思います。
まるで時代の新しいファッションのように、幕末の若者は誰もが尊皇攘夷の理想を語り、その志に酔って激しい行動に走ってしまう。
ドラマでは、近藤さんたちもその勢いに巻き込まれているが、佐久間さんや勝さん、さらに龍馬との出会いの中で、観念的な尊皇攘夷の激しい外国人排斥運動よりも、開国によって日本を強くして日本を守る、という海外と日本の現実を冷静な目で見る思考法が、近藤さんの思考に影響を与えている。
そもそも江戸時代、幕府の正式の学である朱子学は、どうも理屈ばかりが先行して、現実的なリアリズムに欠けるものであったと考えられる(私は勉強不足で誤解しているかもしれませんが)。
冷静に冷めた目で現実の動きやあり方を正しく観察し、そこから本質的なものを導こうという現実的な思考方法は、時代の大きな変わり目には特に重要である。観念論だけで一つの幻想の姿を描き出し、それにもとにして閉鎖的な論理を展開していく。絶えず動いている現実世界よりも、過去の学者の書いた論理が重要であり、学問するとは、過去の学者の説を踏襲し繰り返すこと。
マルクスレーニンの思想を前提して共産主義社会を構築し運営してきた国家は、やがて国民の現実の動きから厳しいしっぺ返しを受けて崩壊していく。共産主義の観念論が、現実に国民と社会が生きる本当の厳しい姿を見る目を曇らしていたのである。国民の現実よりもイデオロギーが優先される。
さらに発展した陽明学になると、社会的正義を実現するための行動の学問、
確かに正義感によって人間の行動のモチベーションを高めるということは、非常に魅力的である。問題は、ここでの正義感が閉じられた観念論から生まれたきたものであり、しばしばそれを信奉するグループのイリュージョンになって、外部からまったくチェックされたり抑制されない。その結果、陽明学の学徒は、しばしば非常に危険な行動に走ってしまう。
現実の世界を直視しその中で厳しく鍛えられた正義感であるならば、そのもとでの行動はより多くの人々の共感を得て、長期的に見て社会を変えていく大きなエネルギーになってくる。
幕末の志士には、あまりにも性急に、自分たちがやらなければ日本が滅んでしまうという思いこみが強く、それがすぐに激しい行動に噴出してくる。尊王攘夷派による暗殺の横行、暴走など、現代の自爆テロの思想に近いものを感じる。
吉田松陰の歌
かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
武士道の神髄、日本民族の活動力と高く評価されています。
しかし、その行動が社会的にどんな結果、影響をもたらすか、現実社会の冷徹な分析によってそれがどこまでしっかり確かめられているのか、自分たちの世界における思いこみの観念論に落ち込む危険性をチェックして、同時代の多くの冷静な優れた頭脳の共鳴を得ているものであるか、
ここのところが決定的に重要になってくる。
太平洋戦争に突入する運動力は、長州を中心にした(山県有朋ら)軍人から受け継いだ、こうした観念論的な思考方法に起因するのではないでしょうか。現実を冷静に見れば、日本は太平洋戦争を行う国家的能力を持っていないのは明らかである。それを分かっていても、日本を守り攘夷を実行するために国民の自由な思想を厳しく統制し、無謀な戦争に強制的に日本を引き込んでいく。
特に深刻な問題は、尊皇攘夷運動の思想的な根に水戸藩による天皇を中心にした歴史観があったこと、
日本は天皇が支配する国であり、幕府は天皇の指示のもとに従うべき、この考えが強まってくると、天皇の許しのない幕府の決定は無効であり、そのような幕府を討伐すべきである、
大戦では、天皇陛下ばんざい、と言って多くの兵士が死んでいったと言われています。天皇の統帥権が、長州閥を中心にして法的に確立され、やがて国会の権威を越えた統帥権のもとに一部の軍部指導層が日本国の運命を決定していく。そこにはもはや、国民一人一人の人権や幸福を尊重する思想が忘れられ、天皇という公的な国家機関にすべてを従属させている。
しかも、日本の運命を決定する行動を支えているのは、厳しい現実分析による現実論でなく、水戸藩以来の皇国史観という特異な観念論。
長い日本の歴史で天皇は、政治的な権力をもつことは少なく、いわば神官のように日本国の象徴として人々の自然な尊厳を勝ち得ていた。明治天皇が凛々しい軍服姿している写真を見て、皇后が、これで天皇家は滅ぶのでは、と大変心配された、天皇の住まいである京都の御所はまったくの無防備であっても、泥棒もはいらなかった、それだけ天皇という存在は、現世的な権力や富とは関係なく、日本国の長い伝統の象徴としての自然の威厳の対象であった。
第2次大戦に日本を導いたのは、幕末から明治維新における尊皇攘夷思想の行き過ぎであるように思われます。尊皇攘夷の熱気のもとに、わずか100年の間に急速に興隆し敗戦の悲劇に追い込まれた日本、
(質屋の倅)龍馬は現実を直視し、薩長の対立という誰もが認める時代の観念論を容易に克服して、日本の現実のあるべき本質的な姿をえがくことができた、
その龍馬の考えるような、世界に開かれた自由な商人国家を建設に向かうべきだったのでは。土方も、同様に商人的な才覚で日本をリードできる器であった。龍馬、土方などのグローバル・リアリストが明治維新をリードしていたら、愚かな大戦への突入という国民的悲劇が避けられたのでしょう。
今日はそんなことを考えながら、尊皇攘夷運動の限界を見つめていました。
No.415 2004/08/10(Tue) 00:40
大河新撰組の二つの側面 / 田中拓男
やはり、下っ端のお咎めに土方は執着しました。
近藤さんの留守を狙って。
(近藤さん、なかなか貫禄が出てきました)
8月2日の「書状を人前で破る」の中で
別の罪で下役が組織から離れた、と書きましたが、やはり切腹させられたのですね。
土方は、どうしても上司への反乱を見逃すことができなかった、見せしめのために。しかし、首謀者の永倉は松平候によって命が保証されているから土方も手がでない(それを案じて上京の近藤は意識的に永倉を同行させて手元におく)
また先日、武士宣言した新撰組では、まだ武士でもないのに切腹させた、と書きました、
作法を知らないもに腹切りの格好だけをつけさせて実際は打ち首。
やはり彼は、そっと逃がすべきでしょうね、とても武士道の人間ではありません。
この辺に、早く会津藩よりも強い武士らしい武士になろうという土方の焦りが出てきているようです。
そして、近藤の政治的な台頭、公武合体派の論客として、江戸幕府の老中に将軍上洛の要請をするために選ばれて上京。それに対して、傾いた幕府のなんとも情けない対応、(もう金がないと!)
ここに、長州討伐を巡る頃の幕末の政治状況がよく現れています。
もし、一橋候(桑名候も)が登場してくると、京における有力な政治勢力(一会桑)の陣容が紹介されることになる、さらに、会津の松平候を頼りに思う孝明天皇と公武合体派の関係が描かれれば、幕末の日本政治史における、池田屋事件以降の新撰組や近藤の歴史的な意義が大きくクローズアップされる。
単なる京の警護を受け持つ武力集団ではなく、新しい時代を安定的に動かそうとする政治力として新撰組の姿。脚本家は、ここまで深く考えていないのでしょうかね。
今日の新撰組ドラマは、江戸の近藤と京の土方の2正面の動きを追い続ける。その意味するところは重要。
他方で、戦う組織として強くなるために次々に仲間を切腹(死)に追い込む暴力的な暗い側面を持つ新撰組、
一方で、幕府勢力と倒幕勢力の間に入って幕末の新しい政治運動を支え、引っ張るという大きな役割を果たす歴史的な存在としての新撰組、
新撰組の二つの側面が、江戸と京とで交叉しながら進行していきました。
次には、いつも涙が止まらない明里と山南の別れ、あれは桜の散り舞う春でしたね。あまり悲しいから見られないかな!別れは本当に辛いですね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月11日 明里と山南さん / 田中拓男 引用 Res
今日から新盆の行事、とても辛い気持ちがまた蘇ってきたようです。いつか、巡る思いが喜びに変わる日が来るかしらと、・・・、
心に深い傷をもつものは、同じように悲しみにくれる人々への心がよく分かるよう、でも、それぞれ違った悲しみ、苦しみでしょうが。今大河に明里が登場!
私は、若い頃から不思議と、どこかに悲しみの陰を秘めながら、それでも秋の澄み切った空のような天性の明るさをもつ女性になんとなく気を奪われるようなところがありました。絵画の少女の深い悲しみと純粋さに魅せられて複製画を部屋に飾ったり、小説の中でも、そのようなどこか悲しみの陰のある純粋な主人公が好きになったり。
たとえイマジネーションの世界であっても、そんな悲しみの陰のある女性と一緒にいる方が、心が癒されて落ち着いてくるような気がします。喜びに満ちた華やかな世界では、どうも田舎者としては、眩しすぎて身の置き所がないのかもしれません。
新撰組に惹かれたのも、彼らの華やかな活動の陰になんとも切ない滅びの悲しみがそこにあるから。
やがて破れ滅んでいく彼らとは、心が安心していつも一緒にいられるような気がします。彼らと悲しみを共有することで自分の存在が確かめられるような、
若いときからどうも変な性格ですが、やはりとても悲しい別れを経験して、どうにもならない人生の厳しさを心の片隅で知ってしまったからかも。
諦め(捨てること)もそれだけ早くなり、まあいいや!が口癖に、そんな時、しつこく心の片隅では再度のチャレンジや別の道を考えているが。
明里、今までどんな女性かは分かりませんでした
(実在の女性かもはっきりしないとか)、
大河ドラマでは、京にくる背景が語られていました。糸里と同じですね。
(今も貧しい国では同じような辛い境遇の子供や女性が多くいるのでしょう。豊かになった日本のありがたみは、誰もが自分自身の働きで食べられるようになったこと)
この貧しい時代には、多くの女性が、子供の頃にすでに、とても辛い境遇におかれている。それでも成長してお座敷に出る時には、綺麗に身を飾って華やかに場を盛り上げなければならない。豪華さと悲しみが同居している女性たち。
新撰組の隊員も、命をかけた見回りで神経をすり減らし、人間の血を流したことによる神経の苛立ちをどこかで鎮めなければならない。
こうした日々生々しくつけられる心の深い傷は、やはり心に深い傷をもつものの愛情でしか癒すことができないのでしょう。
心に同じ傷を持つ者同士が自然とお互いに惹かれていく。
それは、平時における男女の恋愛や浮気とはまったく異質のものでしょう。弱い人間として、なお生き続けるためには何かにすがりたくなるような、そんな心が辛いときに、二人の魂が共鳴し、お互いを呼び合っているのでしょう。悩める魂が休息所を求めて、重なり合って生きているのでしょう。好きとかという個人的な感情を越えています。
新撰組の物語には、こうした関係の女性が登場します。
沖田総司の女も、同じように陰のある薄幸の女性、そこに病の苦しみを持つ総司が惹かれて離れられず、人生の最後まで面倒をみたのかもしれません。
明里と山南さんんとの関係は、基本的にはこのようなものだったのでしょう。
、山南さんが、新撰組でますます孤立感を深めるにしたがって、明里の存在が心の中で膨らんでいったのではないでしょうか。
死を覚悟した時、山南さんは愛する明里との心中も浮かんだのでしょう。しかし、自分の心の弱さのために愛する人をさらに深い悲しみの中に引きずりこんでいくことはできず、悲しみのはてにぶらりと一人旅に出たのでしょう。
しっかりした脱走計画があったとは、とても思われません。疲れて心が病んで新撰組を離れる。
(この辺は、近藤さんはもっと早く対処すべきであった)
何故に大津のような京に近いところで泊まっていたのか、
それは愛する明里と遠く離れてしまう心のおもにが旅の足を止めたのでしょう。身はどこに逃げようと、心は明里の住む京の街に残っている。山南さんの心の平安はそこにしかないのですから。遠く逃げれば、それだけ一人になった孤独感が深まっていくから。
後ろ髪を引かれる思いで逃げたのでしょうが、ここまで心が病んでくると、どこまで行っても明里への思いはますばかりで、思いは、愛する人といつも一緒。
そして、沖田に伴われて屯所に帰って帰ってきたとき、永倉などの逃げろという示唆にもかかわらず、もう心は決まっていた。
この京の街でずーっと明里と一緒にいる、たとえ身はこの世から離れても、いつもいつも一緒に。
(涙が滲んできて、ここからはどうしてもうまく書けません。)
8月10日 山南さんの役割とインテリの虚弱体質 / 田中拓男 引用 Res
山南敬介さん、優れた頭脳と暖かいハートのリーダー、同時に内面の人間的な弱さを一杯に持つ、非常に魅力的な人柄。
私が、龍馬のファンのまま新撰組を知ったはじめの頃、今までの暴力的な集団のイメージを変えてくれたのは山南さんの存在、山南さんがいたから新撰組に安心して近づけることができた。
その山南が切腹し、明里と悲しい別れ、なんという悲劇。
尊皇攘夷運動の激しく燃え上がる時代、若者たちは志に燃え、酔った勢いに任せて、命を交換する猪突猛進の行動、すべてが沸騰点で激しく燃えている。
結果的には、この無鉄砲な行動が、多くの命の犠牲の上に、長い封建時代のくびきを解き放すことになった。明治維新という社会革命を成功させる。
しかし、このままのエネルギーで突き進んでしまうと、日本はブレーキのない武断国家になってしまう。西郷さんは、武士はまだ戦い足りないので朝鮮半島にまで行きたいと。
そして、日露戦争に勝った民族的な高揚気分でそのまま突き進んで世界を相手に無茶な戦争をして民族の悲劇に投げ込まれる。
新撰組の激しい内部統制と効果的な警備の活動、
土方や近藤にとっては、会津藩に抱えられ、武士らしい武士になるには、どんどん前に進んで実績を上げていかなければならない。最強軍団の新撰組を作り上げるためにあらゆる戦術を駆使していく。
しかし、このような武断の力に頼る新撰組の体質は、時代の大きな問題解決には危険な要素を孕んでいる。組織のどこかでブレーキを備えていなければ、やがて暴力が暴力を呼び、最後に暴発してしまう。それ自身で長続きできない組織構造になっている。
戦後高度成長期のいけいけどんどんの経営者は、結局多額の不良債権を抱えてしまって、社会に大きな迷惑を残すことになる。どこかでブレーキが必要だったが、その時その時の成功の高揚した気分の中で誰もリーダーの暴走を止められず、組織の受ける傷を回復不能までに大きくしてしまった。
新撰組の活動において、誰かが内部のブレーキ役を果たさなければならない。それが山南さんの役割、
動乱の京の市内見回りという、非常に厳しい危険な警護の仕事ではあるが、血を流すことが当然のような激しい日常的な活動の中で、新撰組のあり方に常に疑問が出されてくる。攘夷を唱える志士をただ殺していくだけではないか。
さらに、外部の敵だけでなく、芹沢、山南、伊東、藤堂、谷など、内部の有為な人材を次々に殺していくという体質。街の人々にも、みぶろと言われて軽蔑される屈辱。
こうした厳しい環境の中で新撰組には、公武合体派の武装勢力として動乱の京都を鎮めるという歴史的な使命がある。それが、新撰組の組織理念。
この理念を常に新たに組織の活動の中に吹き込み、組織の活動をチェックするのが、山南さんの役割、
どこかで立ち止まって新撰組の活動をチェックし、行きすぎの面があれば、絶えず局長に進言して本来の姿に戻してゆく。会津藩のお抱えとして藩からの指令だけで動く組織では、組織の内発的な成長発展が期待できない。
内部で誰かがチェックし暴発を止めなければ、(京都守護職のお抱えといっても)社会的な存在としての新撰組組織が広く認知されなくなる。怪しげな連中が屯する怖い存在として恐れられるだけである。それでは本来の組織理念と離れてしまう。
日露戦争の戦勝気分が高揚して、日本は西洋列強に充分互していける大国と錯覚したところに、日本の進路を誤まらせてしまったと言われる。国民的な戦勝気分の中で冷静に国際社会の中の日本の現実を直視し反省して、日本の本当の姿を確認すべきであった。
国家としての組織的なチェック機能が効かなくなって、軍部独裁に発展していったのではないでしょうか。
沖田がもう少し社会経験があって自立しており、かつ元気であれば、”私の剣は人殺しのために使われるのではない”と、時には、土方さんに厳しく食ってかかったかもしれない。沖田の純粋な感性は、山南さんと通じるところがあり、沖田、山南ラインで土方の激しさのチェック機能を果たしたかもしれない。
土方は、土方独自の論理で新撰組の強化を図ろうとしているので、それ自身まったく論理的に否定のしようのないもの、
要は、どんなに正しいと思われることでも、性急に一方的に押しつけられると、やがて歯止めがきかなくなり、しばしばゆがんだ結果を生むことである。
その意味で、山南さんを失うことは、新撰組組織のバランスのある発展にとって致命傷になっていく。
近藤の役割として、ますます公武合体派の重要な抑えとなるべき時である。
局長は、他方で、土方戦略による武断の圧倒する力を示しながら、もう一方では優れた政治力を発揮して時代の流れをより安全に誘導していく。
後者の重要な仕事を果たすには、山南さんの力が不可欠、武断の土方戦略と平和交渉の山南戦略のバランスの上に立てば、幕末の政治における近藤の力はさらに強固なものになったでしょう。
ただ、問題は、山南さんが健康で近藤の政治的な指南役を果たすような知識能力を十分備えていたかどうかである。
テレビの前半部分、山南さんの颯爽とした活動は、十分その役割を果たせる能力を予感させるものである。
しかし、インテリの弱さは、うまくその場が与えられれば見事に輝いているが、舞台が回って自分の出番がなくなってくると、急速に輝きをなくして萎んでいくことである。自分で逞しく舞台をつくれない。
長期わたって組織のリーダーとして活躍していくには、どんな環境になろうと、自力で自己内部の能力知識を外に発信しながら、変化に適応して生き抜く逞しさ、バイタリティが必要、
インテリ体質の山南さんには、自分のおかれた逆境を跳ね返す柔軟性と逞しさがなかったのかもしれない。
時代の環境が短時日にどんどん急変している中で、激しい闘争が日常的に繰り返されているために、自分自身が積極的に自分の活躍する舞台を作っていかなければ、どこかで脱落してしまう。
もういいや!!!、と思った瞬間に、運命が絶たれることになる。
( 自分の性格的な弱点と重なるために、山南さんのことを考えていると、ますます自己嫌悪に陥ってしまいます。いつもここから逃げ出したくなる!!!)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
★ 五稜郭、歳さんのエンプティテーブル
五稜郭の歳三、目の前の海に展開する敵の大群を見てどのような想いに駆られていたのか、いつもいつも考えています。
その時その時で歳三への共感が異なりますが。ロンドンでミュージカル、レミゼラブルを見て以来、マリウスの歌う”エンプティ テーブル、エンプティ チェア”がいつも耳に響き、五稜郭の歳さんへ、悲しみの共感がますます強くなっていきます。
言葉にならない悲しみが胸を去来する
締め付ける苦しみが最後の自分の慰め。
一人残ってこの悲しみ苦しみを背負っていこう
亡霊のように、死んでいった仲間達が訪れ
そして消えていく。
明日にでもこの城は落城する、
われわれ新撰組は、その時完全に崩壊する
近藤さんも、総司も、井上の源さんも、山南さんもすべてもういない。
多摩の地で武士になることを夢見て京に出た同志達、
最強軍団として華々しくその活躍が賞賛され、
京の街を堂々と闊歩してきたのに。
今、この城にただ一人残されて
仲間と一緒に懸命に作り上げた新撰組の崩壊に晒されている。
近藤さん申し訳ない、
総司よ、この無念の思いを分かってくれよ。
言葉にならない悲しみが胸を去来する
近藤さんと一緒にただまっすぐに
幕府のために知恵と忠節の限りを尽くしてきた
仲間内の厳しい粛正の苦しさにも耐えて
ここまで強い力をつけてきた
近藤さんがいたからこそ、おれは最後まで妥協せずに戦えたのだ
鬼と言われようと、
近藤さんが京都政治で命をかけて頑張っているから、
新撰組を強くしたかったのだ、
最強軍団に仕上げてきたよ
総司よ、お前も一緒にいたからここまで強い新撰組を作り上げられた。
お前の剣が新撰組の実力の支えだったんだ、
そのお前が不幸な病に倒れ、どれだけその運命を呪ったことか
お前が病に倒れてもお前の不思議な闘争力に導かれて
ここまでおれは死力を尽くして戦い続けてきた
お前の無念な気持ちがおれの心の中で突き上げてきたのだよ。
明日には最後の戦いが始まる、
近藤さんも、総司も、昔の仲間が誰もいない最後の戦い、
共に力を合わせて幾度も新撰組の戦を戦ってきたのに、
最後の戦いに残されたのはおれだけだ。
申し訳ない、近藤さんの、総司の新撰組で
一人生き残って次々に破れていく、
近藤さん総司にあわせる顔がない。
でもおれは最後まで諦めないよ、近藤さん
われわれ新撰組の志を
最後の瞬間まで高く掲げて戦うよ。
まっすぐに節を貫く板東武者の意地があるから
近藤さん、悲しいけど、もうすぐそちらであえるね、
総司、この世では最後まで共に戦えなかったけど、もうすぐ共に休めるね。
再び顔を合わせるとき、新撰組の志を多摩の土地に還そうよ、
我々の魂をこめて作り上げたの新撰組の神髄を
われわれは精一杯戦って破れたのだ、
故郷の人々もきっとやさしく迎えてくれるよ。
もう二度と戦いの場にたつこともないね。
われわれの戦いは破れても、人々の心の中にその志を残そうよ。
悲しみが胸を去来する。
しめつける苦しさが私の慰め、
もう時間がない
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今夜は「冬のソナタ」最終回、それをみながら空港への準備。
人間の愛について、いろいろ考え続けてきました。帰国後に感想を書き込みます。
コメントが書けるそうです。しばらく私のエッセイは休みますので、代わりに皆さんのエッセイをコメントに書き込んでください。合同のエッセイですね。
コメントされる方の詳しい情報など入手できるように、ココログを拡充する予定です。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
斉藤一、新撰組の中ではローンウルフ、非常に不可思議な男の存在
斉藤の長い人生を通してみて初めて、斉藤の秘めていた一途な奉仕忠節の愛の美しさと幸せが分かってくる。
斉藤は、人に純粋に一途に仕えることに自分の人生の存在を見いだす
人間誰でも自分の損得を考えている、たとえ人に仕える仕事でも、自分のメンツや評価を気にする、
斉藤は、ただ人に奉仕する気持ちを純粋に一途に持ち続けることに、自分の生き甲斐を感じる
人にどういわれようと、自分の主人と思った方にどこまでも忠節を尽くしていく。
他人に犬と思われようと、忠節しか自分の生きようがない。
そこに自分の生きる意味があること、自分の心にしっかり留めている
はじめに、やくざのような人物に義理堅く加勢をし続ける。
やがて
近藤さんを自分の主として仕えるようになると、伊東一派に入り込み、その内情を近藤さんに教える。
近藤暗殺という危機の状況を察知すると、逃げ出して新撰組に帰還する。
通常、スパイとして送り込む人物は、非常に用心深い伊東一派では、日常活動の中で容易にその実態があぶり出されるであろう。
あのグループの中で最後までばれなかったのは、近藤さんへの忠節の念が、他人にはなかなか見通せられない心の深いところに、しっかりと秘めていたから。
日常生活を共にする親しい仲間にも知られないような奥深い近藤さんへの一途な奉仕の思い。
近藤さんの危機の時に初めて、奥底からその思いが激しく浮かび上がってきて、日常的な仲間への親愛の情を圧倒してしまう。
斉藤の一途な奉仕忠節の心は、このように日常的なものではなかなかはかれない奥深さ、不可知のところがある。
普段の生活では、そんな人物にはとても思えないのに、危急の時には本音の世界に急に帰っていく。
こうした深く深く秘めた一途な奉仕忠節の念であるために、なかなか他人には分からない。
近藤さんの心の奥の奥底と、なにか不可思議な糸で堅く結ばれているのでしょう。表面的に何があろうと、決してその糸を切ることができない。近藤さんも、斉藤のその思いを鋭敏に感じてる。
人生で巡り会った幸せな二人!!!
(こうした人間が表面を繕うとするとどうしても名前まで変えてしまう、斉藤はいくつかの名前を持つ)
斉藤のこの一途な奉仕忠節の念は、さらに近藤さんの亡き後、滅び行く会津候への奉仕忠節の心に育っていく。
会津藩が、官軍の激しい攻勢で籠城を余儀なくされるとき、土方はさらに戦線の拡大を考えて仙台、米沢の方面に去っていく。
誘われた斉藤は、われわれの仕えるべき主人は会津候、最後の最後まで主人のためにその側でこの命を捧げて戦い抜くのが、武士としての誉れ、と言って土方と決別する。
この一途な奉仕忠節の心が、この危機の選択の時にも、強く斉藤の心を捕らえてしまい、
斉藤一人会津に残り戦い抜く決心。
そして、いよいよ落城の時、
城外に出ても、官軍と最後の最後まで激しく抵抗の戦いを続け、会津の武士の魂を後に世に残そうとする。
たとえ城が落ちても、会津武士の魂は、この故郷の山野になお毅然と生き続ける。
それが、(一時期であっても) 仕えた会津候への最高の忠節心の発揮。
津軽への厳しい逃避生活、斉藤は、名前を変えて、ついて行き、なお人々に奉仕生活、
すこしでもこの身が役立つならば、塗炭の苦しみにある会津の人々を助けたいという一途な心。
その純粋な奉仕の心が、やがて斉藤の幸せを呼び寄せる。
会津の殿様の媒酌で、重臣のお嬢さんと結婚。
なんという人生の逆転、
あの街をうろついていたローンウルフが
藩の重役のお嬢さんと結婚する、身分社会ではとても想像もできないこと。
しかも、それは斉藤の純粋な一途な奉仕の心が呼び寄せた人生の幸せ、
斉藤が自分から苦境の中にある家臣団の中に積極的に入り、奉仕活動を続ける中で人々に認められた純愛。
新撰組の切ない悲しい滅びの中で、斉藤だけがその悲惨な運命を、最高の幸せに転換させている。
時代が変わっても忠節の心を曲げずに、いつまでも主人のために心深く忠節の奉仕の心をしっかりもっていったから。
忠節は忠節、時代が変わろうと、舞台が変わろうと、主人と決めた方への一途な奉仕の心は、岩のように頑丈にびくともしない。斉藤は、だれもが時代の苦しみの中で少しでも楽な方向を探しているとき、殿様にしたがって、忠節を尽くし続けることを選んだ
(旗本の中には、静岡に配転された後、のんきな将軍への冷たい心を転じた方も、)
おそらく近藤さんも、この寂しいけど豪華な祝いの席に天国から駆けつけたことでしょう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
総司よ、これが運命だ、耐えて耐えて生きていこう!
総司が労咳、なんてことだ。嘘だろう!
小さい頃から近藤さん、土方さんについて、ここまで一緒にやってきたのに、
この大切な時期に、なんてこと。
総司は、天然理心流の試衛館で自分の持って生まれた優れた才能を懸命に磨き続け、その日がくれば
その剣の実力で近藤さんたちの仕事を助け、自分もそこに人生の大きな喜び
。
そう、池田屋事件では、
近藤さんと二人で二階に飛び上がり、多数の浪人相手にその抜群の実力を生かして近藤さんたちを助けていた。
それは総司の生き甲斐、
近藤さんと一緒に天然理心流剣法の精髄を見事に発揮したが、それで世の中で天然理心流を広く認めて貰える
(講武館の師範を拒否された近藤さんのあの深い思いを深く知るために)
総司は、一番隊の組長として、武闘集団新撰組の実践活動のリーダー格、
近藤も土方も全幅の信頼をおく総司のあの実力があったからこそ、新撰組の武力が会津藩に見込まれ、最強集団として京の街で大きな役割を果たしていた。
剣の実力がどんなに優れていても、永倉や原田や斉藤では、この総司の役割を取って代わる訳にはいかない、
多摩共同体の子会社として新撰組組織のコアには、多摩の剣法、天然理心流がある。天然理心流の剣法こそ、新撰組のすばらしい実力を支える剣法、それを拠り所にして、土方は会津藩に新撰組の優れた力を認めてもらい、武士へ進むの大切な階段にしていた。
天然理心流の抜群の実力の具現者として、総司の存在は、新撰組の優れた武力が京都の街で認められるにしたがって、ますます不可欠なものになってきている。総司があってこそ、多摩に生まれた新撰組の神髄を発揮!
その総司が労咳、
しかも、病気の治療のためには、体を使わずに休養するのがもっと大切な養生方法。
なんていうことだ!
総司は優れた剣士、その体を極限まで激しく使ってこそ、総司の生きる命が輝いてくる。
それなのに、
じっと病人のように休んでおれ!。この俺に静かにしておれ!、
それはおれにもう死ねということだ!
自分の命である剣を振るえない無念の思いが、最後まで総司の心を捕らえてしまう、
心を占める思いはただ一つ、”俺の剣の力はまだ生きている”
死の間際まで庭の猫を相手に、
”おれの剣の凄さを見てみろ、おれの剣はまだ生きた者をつかめることができるぞ!”
労咳と知った時から、もはや総司は愛する人を幸せにすることができない。
いつか自分の病気のために、愛する人を悲しませ、苦しめることになるから、
それが分かっているのに、そんなこと、自分にはできない。
心惹かれ愛する人から、もう離れなければならない、人を愛してはいけないこの体だから。
これからはもう、愛する人は、総司の心の中にのみ生きることを許される。
ここで別れても離れても、
それは人を愛しなくなったからではない、よく深く深く相手への思いが純化され、尊敬の念が強くなったから。
(この愛の思い出を病床で姉ミツさんにふと漏らす)
(「冬のソナタ」、失明の危機にあるチュンサンが、
(実の妹でないことが分かっても)愛するユジンから最後に別れていく、ここに総司の思いが重なってくる)
総司よ、これは運命、耐えて耐えて生きるしかないのだ。
何故に自分にだけそんな厳しい運命を負わせるの、
なにか自分が悪いことをして、神仏に懲らしめられることがあるの!
確かに人を殺したことがあったが、それは争いの中で起こったこと。
その辛い辛い気持ち、びんびん痛いほど分かるけど、
どうしようもない。耐えるしかないのだよ、総司
耐えたからって、その心の痛み、辛さが軽くなることではないけど。仕方ないんだよ、総司
誰を恨んでも、誰にその訳を聞いても、すべてせんないこと! どうにもならない運命だよ、総司
でも、総司、お前が苦しんで耐えてくれると、総司を愛する多くのファンが、勇気づけられるのだ!
悩んでいるのは、総司だけではないんだよ、
人の世に、厳しい運命に翻弄され、悲しみに切り刻まれる人が、外にも一杯いるんだよ。
身の回りを見回しても、厳しい運命に投げ込まれている人々の悲哀が見えるでしょう。
その人々が総司の苦しむ姿を見ているのだよ、
総司が懸命に耐えて生きようとしている姿に感動しているのだよ。
そこから自分も運命の悲しさに耐える力を得ている、
しょっているこの重荷が少しでも軽くなることを、懸命に祈っているのだよ。
(100年後の今も毎年、あんなに多くのファンが総司のお墓を訪ね、心の癒しを求めているの、知っているよね。)
体は自由にならなくても、近藤さん土方さんの活躍を知って、なお自分の再起を懸命に模索する総司。
近藤さんが甲府のお城の大名になれる、そんな夢をしって総司は、多摩まで一行について行く。
俺もその夢を一緒に見たいのだ!!
(力尽きて途中で一人引き返す、その無念、心は一緒に近藤さんのために戦っている)
悲しみの中に苦悶しながらもなお生きようとする力は、どこからくるのか。
それは愛する仲間への強い思い、
たとえ現実には一緒にいなくとも、心の世界で共に楽しく談笑し、力を合わせて戦い、喜びを分け合っている、
さらに、どうなろうと自分の夢の続きをしっかり持っていること、
その夢を愛する仲間に託することによって、自分の人生もまた新しい展開に。
一人の人の命には限りがあるけれど、その思いを愛する仲間に託すことによって、
その夢はさらに永続されていく、自分の命もさらに長く生かされていく
(定年を前にした私は今、自分の人生の夢と命の短さを知るために、
若い人へ夢を託したいという期待がますます強くなって、いろいろな夢を語り続けています。いつか誰かが自分の夢を思い出してくれればと)
もはや自分一人でないという思いこそ、新しい輝きある生き方へのエネルギー。
総司のことを考えながら、ヨーロッパ旅行を続けています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
密林の聖者、アルバート・シュヴァツアー博士の言葉の中で、時々思い出すのは、
「幼年時代」;
人々が子供の頃に抱いた夢を大人になっても思いだし、大切に心の中で育むと、世の中はどんなにすばらしいもになることかと。
大人になって様々な生きる知恵がついてくると、子供の頃の夢を忘れるか、捨ててしまう、自分の小さな利害損得に心が捕らわれてしまっているから、
子供の純粋さをなくすと、大きな広い心で純粋に世界の人々のことを考え、人々の悲しみや悩みを感じることができなくなる。
私も「開発経済学」の講義の中で学生にいつも話すのは、
この地球で何が起こっているか、目を広く開いてよく観察し、同じようにこの世に生命を受けた人々が苦しんでいる姿を見つめ、共鳴する心の柔らかさを持って欲しいと。
新盆のお盆の行事をしていると、
故郷のこと、両親のこと、亡くなった親しい方々を見送った日々のことなど、思い出していました。
15日夜の精霊流し、澄んだ水の流れる川原、子供心にも不思議な提灯の灯りの揺れ、もう一度あの頃に帰りたい、
新撰組の世界も私にとっては、しばしば子供の純粋な心の世界に思われてきます。
歳さん、故郷多摩の村で元気いっぱい遊んだ日々のことが、絶えず心の中に深く秘めて。
ばらがき、大人にとってはとても乱暴なやんちゃな若者、
でも、時々の悪戯好きの乱暴な素行にもかかわらず、俳句を嗜んだり、人々に優しい心使いを魅せている。
そして、美しい日本一富士山を見上げながら、いつか自分も世の中でどでかいことをしてみたい、世の人に注目される存在になりたい、自己主張をしたい、
多摩の空を見上げていると、子供の夢は純粋にどんどん広がっていく。
山南さんも、剣の厳しい修業をしながら、土方の同じような夢を育てていた。
そして、近藤さんに出会って、この人と一緒に夢を実現させたい、自分の才能を生かせる人生を送りたいと。
土方も近藤も、さらに山南さんも、多摩の時代の夢を大切にして生きている。
動乱の京都の中で自分の生きる道を懸命に模索している。
新撰組は、隊員がそれぞれに子供の頃の夢を実現するところ、人々の夢と合わせるところ、
実際に京都の警護というかなりダーティな仕事に追いやられても、
彼らの心の中には、多摩の時代の夢が生き生きと広がって、
この命をかけて世の中に役立ちたい、とそれぞれの夢を追い続けている。
その夢が重なり交叉する中で、協力と同時に争いが生じてくる。
こうした新撰組の面々の心模様を考えると、
たとえ暴力で社会的にどんなに批判されるようなことがあっても
、彼らの心への共鳴が強くなり、その夢が徐々に滅びていく過程で、彼らの対する切ない気持ちがますます強くなる。
新撰組を愛する人の心の中には、
彼らと同じような子供の頃に抱いた夢が共鳴する感動喜び、
そして、現実社会の中でその夢を持ち続けることの切なさ悲しさが、密かに息しているのではないでしょうか。
新撰組の話を通じて、いつのまにか自分も子供の夢の世界に帰っていく。
そういう純粋さを愛する人が、ますます新撰組の面々の運命に深く巻き込まれていく。
山南さんとの今度の争い、
私にとってはばらがき土方の生き方そのもの、喧嘩に明け暮れた子供時代の土方の姿がそこに見えてくる。
決して自分の損得を考えた意地悪ではない。ばらがきとして戦い続けなければならない、ローンウルフの土方、
鬼と非難されようと、自分の決めた道を進むために戦い続けなければならない。函館の終わりの日までばらがきの精神を強く心に持って。
ただ、一人の孤独な戦いに没頭した子供の頃に比較して、成長した大人の世界では、組織を率いた戦い、それだけに他の人々への影響がより強くなる。
(親しい新撰組仲間のことを考えています。彼女たちもみな、社会的に大人としての立派な活動をしながら、
どこか子供の頃のような純粋な心を今も大切に持っている。そして、人の世の悲しさ、切なさをしる心の温かさも。)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
大河ドラマ、新撰組の組の中に、なにか山南ファンが多くて(沖田も永倉も原田も、おそらく井上も近藤も)、
仲間割れを口実に脱走するのがよく理解できない。土方までが、新撰組に知的な山南さんの必要性を、新加入の伊東さんに説いている。
これでは山南さん、脱走なんてあまりにも勝手すぎませんか、自分がもう少し冷静になれば、自分のいる場が新撰組に用意されているではありかせんか。
これが大河流の解釈でしょうね。
ドラマの大筋をみると、この屯所は、穏やかな常識的な人々の集まりであることを強調しようとしているようで、
この不安で激動の時代に、お互いにどうしようもない主義主張を激しくぶっつけあって傷ついていく現実が、ドラマの背後に隠れていくようです。
私の山南像は、こうした激しい人間葛藤の中で苦悩するインテリ、ドラマとかなり落差があるようです。
予告編では、楽しそうに山南が明里と一緒に旅をしているシーン、私の新撰組ストーリーでは、二人にこの期にいたってそのような幸せな時があるとは、とても考えられない。(もしかして、これは山南さんの夢の中での道行きのシーンかも、それなら前に書いたように、二人の愛情の深さの象徴ですね。)
山南さんは、尽忠報国の重要な役割を果たさなければならないのに、新撰組のしていることは仲間うちの争いばかり、これでよいのかと嘆き苦しんでいる。
一般にどのような内容のものであれ、組織にはしばしば内部の争いが見られます。
そこには二つのタイプがあります。
一つは、もともと本質的に異なった性格の集団が結合して一つの集団を作った場合、
二つがしっくり融合するまでには、内部組織にかなりのコンフリクトが生じてくる。
組織に異質なものが入ってくれば、それを排除しようと自然の生理的な活動が始まる、その結果、異質なものの間で激しい相互排除のコンフリクト、争いが繰り返される。
人間には、その集団が純化されるのを好む自然の傾向があるからである。特に日本のように集団主義社会では、異分子はいつまでも融合できないような厳しい排除運動が見られる。自分とまったく同質的なものと組織内で同居するほうが、はるかに心地よいけらです。
やがて異分子の進入した集団組織は、内部の純化作用の繰り返しで、異分子が排除されて一つの純化されたものに収斂されていく。
徳川幕府の直轄領多摩の子会社として新撰組にとって、芹沢の水戸派(尊皇攘夷思想の本家)は、基本的には異分子である。はじめに両者は、リーダーの清川に対抗して浪士組を結成し、一つの集団的な活動をする組織になった。しかしながら、やはり異分子間の生理的なコンフリクトが激しくなり、最終的に異分子の排除によって組織が純化されていく。
特に多摩意識の強い土方には、新撰組という組織の純化を過度にきびしく追求しようという性癖が見られる。おそらく多摩の有力な人々の支援を受けているという思いが強く、そのために代表者の近藤さんをトップにしたピラミッド型の優れた組織を作って、徳川幕府のために集団的な活動のレベルを高めようとしている。
組織の中に異分子が入ると、確かにそれを排除しようとする生理的な活動が生じるが、他方で、異分子の進入を通じて既存の組織は新しく生まれ変わり、より高い次元へ発展のダイナミズムが形成されることがある。
まったく純粋な同質組織では、内部に厳しい対立葛藤がないために、もはや組織活動の次の段階への動きが、期待できない。仲間意識が強くて何があってもみなでかばい合う体質は、常に問題を先送りしており、やがて崩壊していく危険性がある。
このような同質組織では、進入した異分子がそこで触媒になって、活動のエネルギーが生まれてくる。
両親ともアテネ市民でないと、どのように共同体の発展に貢献をしても、決してアテネの市民権を得られなかった純粋な同質社会のギリシャの文明は、やがて発展のエネルギーを喪失していく。
それにとって代わるのはローマ文明、征服したガリアなど属領の人々に対して、次々にローマ市民権を与えながら領土を拡大し、世界帝国に発展していく。
多摩の新撰組も、異分子を内部に融合される努力を繰り返して行けば、やがてもっと大きな組織に発展できたかもしれない。確かに当時の最強軍団であったが、それがかえって次の兵器の時代への発展を阻害してしまった。大砲の時代にはいると、あっというまに最強の組織が崩壊への道を走るようになる。
伊東さんの加入も、基本的には直轄領多摩の新撰組とは異分子の進入である。
近藤さんは、武断的な性格の多摩新撰組により理念的思弁的な性格の強い新たな分子を加えることによって、公武合体という政治運動の力を強化できると期待した。新撰組を、京の政治勢力の一翼に参加することによって、単なる京都の警護という本来の仕事以上の組織に、変身させようとしたのではないでしょうか。
しかし、多摩新撰組のコアにいる人物土方は、このような発展にはきわめて警戒的な姿勢を持っており、したがって、近藤さんが模索するような形での組織の発展に対して厳しく抵抗するようになる。
本来は、ここで土方と近藤・山南との対立が起こるのである。
しかし、近藤さんのアイデンティティも多摩の人間、その風土的な限界を破れず、結局は、近藤さんの当初の狙いが大きく歪められて、次々に犠牲者を生むようになっていく。
この辺はこれからの大河ドラマの楽しみどころですね。
第2のタイプの仲間割れ、もともと一つであったものが、成長する過程で内部分裂をしていく。
組織は人間によって管理されており、人間が成長すればそれにしたがって組織も変容していく。前のようなままの組織ではなんら問題なかったのに、組織が大きくなると、内部のコミュニケーションが悪くなって、内部分裂の目が出てくる。
永倉の反乱はまさにこのようなケース。
試衛館という小さな組織では風通しがよくて、永倉とその他のメンバーとの間に問題が生じなかった。
新撰組が大きくなると、それに応じて組織の効率的な管理をするために、土方は新しい新撰組組織を作らなければならない。大きな組織の一元的な命令系統を明確に確立し、近藤さんをトップに据えて自分が副長としてあらゆる問題を処理して指令を出して行こうとする。
昔からの横の仲間関係にあった永倉は、こうした縦の命令系統にはなかなか馴染めない。
最終的に反乱という形で新しい縦型組織内部の亀裂を作っていく。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
山南さんの脱走、そして明里との別れと切腹、
大河ドラマの台本を読んだだけで、出演者全員が泣いたそうですが、どんなシーンが見られるのでしょうか、楽しみです。
”脱走”といってもいろいろなケースや意味があります。山南さんの場合は、どのような脱走だったのでしょうか。
厳しい現実からの逃走、その現実が厳しいハードなものである程に、そこから逃走したいという欲求がより強まり、また逃走に成功すればそれだけ喜びも大きなものになる。
問題は、脱走者は、現実におかれている状況をどのように認識しているかである。
一番厳しい現実は奴隷状況、
ローマ時代戦争に負けると、殺されるか、捕らえられて奴隷に売られるか(中にはローマの拳闘士になって命のやりとりも)、いずれにせよ過酷な運命が待っている、
スパルカタスの乱は、確か過酷な運命の奴隷による反乱だっと思います。
したがって、奴隷からの解放は、その人にとって人生最高の喜び、やっと人間性を回復し、その後の運命を大きく変えることになる。
ローマ帝国の領地が大きく拡大して外地への侵略戦争が少なくなると、新たな奴隷の獲得が困難になり、それに伴って奴隷に対する待遇が大きく改善されてくる。やがて、解放奴隷の階級がローマ社会で大きな役割を持つようになる。
貴族の家では、解放奴隷が執事になり、中には皇帝への取り次ぎを一切取り仕切る秘書官になることによって、絶大な政治的権力をもつ解放奴隷も現れてくる。
さて
ここでの奴隷は、肉体的な拘束を伴うものですが、肉体的物理的に自由でも、精神的な拘束をきびしく受ける状態に落ち込んでいいる人々もがあり、彼らもいわば現代の奴隷かもしれない。
山南さんのおかれている状況はと言えば、局を脱すれば切腹という厳しい掟があり、その中で新撰組の活動から疎外された精神的な苦しさに耐えていかなければならない、その意味では一種の奴隷状況かもしれない。
したがって、山南さんの脱走は、本人にとっては、奴隷状況からの解放へ強い意志の行使、最高の喜びであり、すべての知恵を働かせ全精力で取り組むべき一大事である筈。
しかし、実際には、山南さんは、この奴隷状況からの解放にどれだけの喜びを感じて全精力を投入したのでしょうか。その辺がこの脱走劇の不可思議なところ。
現状の厳しさからなんとか逃げ出したいという思いは、しばしば多くの人の心に浮かぶものです。
それが、自分が今直面している問題の厳しさ、辛さ、悩みを、しばしの間でも忘れさせてくれるものであり、こうしてしばし休憩の後にまた気持ちを新たにして、厳しい現実に勇気をもって取り組んでいく。
その意味で、精神的な疲れからの回復剤として、逃走への夢想がしばしば重要なエネルギー源になります。
私なども、夢想家の常で、辛いときには夢のようなことばかり考えて、精神の疲労をとることがあります。
辛い受験勉強の時など、今と違う世界に住む自分をしばしば想像して、今の厳しさを忘れたものです。
(学生の頃、期末試験の時期になるほど、自由に映画に行ったり、旅行に出たりする自分を想像して、早く籠の中から出たかったものです。大抵最後の試験が終わった夜には、旅の列車に飛び乗っていました)
もっとも、そんなことをしなくとも、厳しい現実を直視しながら逞しく問題を解決していく精神的なタフさに恵まれている方も多いです。山南さんの繊細な神経には、土方との厳しい闘争を克服して新撰組の中の新たな地歩を築いていくことは、とても無理だったのでしょうね。
しかし、逃げようとしても逃げられず、繰り返し襲ってくる心の痛みがあります。一時的にイマジネーションの世界で脱走して喜んでいても、やがて再びこの苦しみ悩み、疎外感が、自分の心をとらえて放さない。
朝、目が覚めると、再び襲ってくるこの堂々巡りの悩みの思考。
ここまでくると、脱走の試みさえ無理ですね。
山南さんは、形の上では脱走(実際そんなことをしなかったと説も)ですが、心の中では脱走によってこの悩みが消えるものではないと分かっているために、新撰組から逃げ出そうとは、露程も考えていないのでなでしょうか。
新撰組の中で起こっていること、自分と土方との深まりゆく対立、自分の新撰組にかけた理想や理念の大きな揺らぎ、毎日もろもろの迷いの思考が山南さんの胸を去来する。その過程では、ますます精神的な苦しみ悩みに取り込まれていく。
ここまでくると、そこから脱出した自分を想像することができなくなる。
新撰組を離れて自分が解放感に浸り、喜びの中で何かをしている、こんなことを考えることは、ほとんど不可能に近い。もう新撰組の中の深まる悩みの思いに取り憑かれて、もはやここからの脱走への試みは無理である。
「冬のソナタ」の主人公、10年前に交通事故で亡くなった恋人のことが忘れられない、すでに別の男性と婚約しながらも、10年前の思いからなかなか脱出できすに、現実世界で前に進めない。
本人はできるならばそこから生まれ変わって新しい人生を新しい恋人と一緒に送りたいと思考しているのでしょうが、心の中に沈んで繰り返し浮かんでくるあの思いに、いつも取り憑かれてしまっている。
精一杯の懸命な逃走の試みも、すぐにあの思い出に掴まってしまう、悲しいけれど。
これは小説の世界の話と思われるけれど、実際に経験してみると、人間の心の不可思議、
理性的な思考の行為とはまったく独立して、深く沈殿した情感の世界は、その時その時の人間の意志や思考を超越して人間の存在そのものを直接的に揺り動かし、感情の動きを大きく左右してくる。自分では分かっているけど、どうにもならないのです。周囲からどんなに厳しく叱責されても、どんなに惨めに笑い者にされても。
この悲しみの時間が10年間も続くのです。人間のすべての細胞が入れ替わり、脳に別の情報の書き込みが充分多くなるには、10年余の時間が必要なのでしょう、その頃になってようやく新しい情報が支配的になり、過去からの逃走ができるようになる。
山南さんは、徐々に理性の世界から離れて、繰り返し浮かんでくる情感の世界に身を委ねていったのでしょう。ここには、もはや奴隷として長い生涯を苦しむしかない。脳に深く刻まれている情感は、たとえ一時的に別の土地に移ろうと、決して消えてなくなるものではない。
こうして、どれだけそこから脱出しようとしても逃げられないものがあり、それが人間の人生を大きく狂わせる。
しかし、悩み苦しみから逃げるばかりが人生でしょうか。逃げたいのは悲しみ苦しみからでしょうか。
実は、どんなに逃げようとしても逃げられないものがあるのです。
それは神の愛であり、仏の慈悲。
遠藤文学では、キリストは同伴者、いつどこにいってもキリストはあなたの側にいて愛の癒しを行っている。あなたはそこから逃げ出すことはできない。
何故に逃げようとするのですか、どんなことがあっても、病の時も、心が痛むときも、キリストは、あなたを同じ心で暖かく包みこうもうとしてしてくださるのです。あなたが世間的にどんなにいけないことをしたとしても、決してあなたの側から離れようとしない、温かい心のままで。
山南さん、この逃げられない運命に従うと決心をしたとき、自分の側を離れようとしない暖かい存在にふと気づいてくれると、そこから新しい人生の展開が見られたでしょう。新撰組の中の個人的な主導権争いの厳しさが消えて、自分を守ってくれるより大きな愛の存在の命じるままの人生に素直な気持ちで身を任せる。
死からの再生がここに!!!。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
家族全員で朝早くから近くのお寺に参り、道案内の提灯に火を点してママの霊を迎えしました。
我が家では初めてのお盆の行事、子供の頃を思い出しながら、皆で仏壇に飾り付けをしたり、お料理を準備したり、
今日は息子の誕生日、私が幼子3人を連れて大阪の親戚に(預けるために)行っている間に、急に産気づいて救急車で埼玉から東京の築地まで運んでもらったと、いつも話していたママを思い出します。あの時側にいてくれなかったと、後で繰り返し言われたのも、今となっては懐かしい思い出。
最後のベッドでは、待ちに待っていた息子が、亡くなる前夜、ようやくハワイから駆けつけてくれて、本当にうれしそうに安心した安らかな顔をしていました。
お盆、家庭内の仕事は、ママが率先して口うるさくやっていたのに、と思い出しては、ママがいないことが一段と寂しくなります。家庭の中であまりにもその存在が大きかったので、一体自分の周りで何が起こっているのか、未だによく理解できません。夢なら早く醒めて欲しいと。
生きている人は、みなこうして去っていった愛する人の面影をいつまでも追い続け、寂しさ悲しみにじっと耐えて生きていかなければならないのですね。誰にもこんな悲しみが待っていると思うと、一体人は何故に生まれてくるのかと、つい考え込んでしまいます。生きる者すべてに襲ってくるこんな辛い悲しみを敏感に感じられる方は、早くから仏門に入り、仏に仕えたいという、素直な気持ちになるのでしょうね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
大河テレビはいよいよ山南さんの脱走。
脱走という言葉、暗いイメージとともに、甘い魅力的な誘惑、人間にはしばしば脱走の誘惑。若い頃は本当に夢の中で現状からの逃避をしばしば考えたものです。
脱走について考えてきました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日から新盆の行事、とても辛い気持ちがまた蘇ってきたようです。いつか、巡る思いが喜びに変わる日が来るかしらと、・・・、
心に深い傷をもつものは、同じように悲しみにくれる人々への心がよく分かるよう、でも、それぞれ違った悲しみ、苦しみでしょうが。今大河に明里が登場!
私は、若い頃から不思議と、どこかに悲しみの陰を秘めながら、それでも秋の澄み切った空のような天性の明るさをもつ女性になんとなく気を奪われるようなところがありました。絵画の少女の深い悲しみと純粋さに魅せられて複製画を部屋に飾ったり、小説の中でも、そのようなどこか悲しみの陰のある純粋な主人公が好きになったり。
たとえイマジネーションの世界であっても、そんな悲しみの陰のある女性と一緒にいる方が、心が癒されて落ち着いてくるような気がします。喜びに満ちた華やかな世界では、どうも田舎者としては、眩しすぎて身の置き所がないのかもしれません。
新撰組に惹かれたのも、彼らの華やかな活動の陰になんとも切ない滅びの悲しみがそこにあるから。
やがて破れ滅んでいく彼らとは、心が安心していつも一緒にいられるような気がします。彼らと悲しみを共有することで自分の存在が確かめられるような、
若いときからどうも変な性格ですが、やはりとても悲しい別れを経験して、どうにもならない人生の厳しさを心の片隅で知ってしまったからかも。
諦め(捨てること)もそれだけ早くなり、まあいいや!が口癖に、そんな時、しつこく心の片隅では再度のチャレンジや別の道を考えているが。
明里、今までどんな女性かは分かりませんでした
(実在の女性かもはっきりしないとか)、
大河ドラマでは、京にくる背景が語られていました。糸里と同じですね。
(今も貧しい国では同じような辛い境遇の子供や女性が多くいるのでしょう。豊かになった日本のありがたみは、誰もが自分自身の働きで食べられるようになったこと)
この貧しい時代には、多くの女性が、子供の頃にすでに、とても辛い境遇におかれている。それでも成長してお座~に出る時には、綺麗に身を飾って華やかに場を盛り上げなければならない。豪華さと悲しみが同居している女性たち。
新撰組の隊員も、命をかけた見回りで神経をすり減らし、人間の血を流したことによる神経の苛立ちをどこかで鎮めなければならない。
こうした日々生々しくつけられる心の深い傷は、やはり心に深い傷をもつものの愛情でしか癒すことができないのでしょう。
心に同じ傷を持つ者同士が自然とお互いに惹かれていく。
それは、平時における男女の恋愛や浮気とはまったく異質のものでしょう。弱い人間として、なお生き続けるためには何かにすがりたくなるような、そんな心が辛いときに、二人の魂が共鳴し、お互いを呼び合っているのでしょう。悩める魂が休息所を求めて、重なり合って生きているのでしょう。好きとかという個人的な感情を越えています。
新撰組の物語には、こうした関係の女性が登場します。
沖田総司の女も、同じように陰のある薄幸の女性、そこに病の苦しみを持つ総司が惹かれて離れられず、人生の最後まで面倒をみたのかもしれません。
明里と山南さんんとの関係は、基本的にはこのようなものだったのでしょう。
、山南さんが、新撰組でますます孤立感を深めるにしたがって、明里の存在が心の中で膨らんでいったのではないでしょうか。
死を覚悟した時、山南さんは愛する明里との心中も浮かんだのでしょう。しかし、自分の心の弱さのために愛する人をさらに深い悲しみの中に引きずりこんでいくことはできず、悲しみのはてにぶらりと一人旅に出たのでしょう。
しっかりした脱走計画があったとは、とても思われません。疲れて心が病んで新撰組を離れる。
(この辺は、近藤さんはもっと早く対処すべきであった)
何故に大津のような京に近いところで泊まっていたのか、
それは愛する明里と遠く離れてしまう心のおもにが旅の足を止めたのでしょう。身はどこに逃げようと、心は明里の住む京の街に残っている。山南さんの心の平安はそこにしかないのですから。遠く逃げれば、それだけ一人になった孤独感が深まっていくから。
後ろ髪を引かれる思いで逃げたのでしょうが、ここまで心が病んでくると、どこまで行っても明里への思いはますばかりで、思いは、愛する人といつも一緒。
そして、沖田に伴われて屯所に帰って帰ってきたとき、永倉などの逃げろという示唆にもかかわらず、もう心は決まっていた。
この京の街でずーっと明里と一緒にいる、たとえ身はこの世から離れても、いつもいつも一緒に。
(涙が滲んできて、ここからはどうしてもうまく書けません。)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
山南敬介さん、優れた頭脳と暖かいハートのリーダー、同時に内面の人間的な弱さを一杯に持つ、非常に魅力的な人柄。
私が、龍馬のファンのまま新撰組を知ったはじめの頃、今までの暴力的な集団のイメージを変えてくれたのは山南さんの存在、山南さんがいたから新撰組に安心して近づけることができた。
その山南が切腹し、明里と悲しい別れ、なんという悲劇。
尊皇攘夷運動の激しく燃え上がる時代、若者たちは志に燃え、酔った勢いに任せて、命を交換する猪突猛進の行動、すべてが沸騰点で激しく燃えている。
結果的には、この無鉄砲な行動が、多くの命の犠牲の上に、長い封建時代のくびきを解き放すことになった。明治維新という社会革命を成功させる。
しかし、このままのエネルギーで突き進んでしまうと、日本はブレーキのない武断国家になってしまう。西郷さんは、武士はまだ戦い足りないので朝鮮半島にまで行きたいと。
そして、日露戦争に勝った民族的な高揚気分でそのまま突き進んで世界を相手に無茶な戦争をして民族の悲劇に投げ込まれる。
新撰組の激しい内部統制と効果的な警備の活動、
土方や近藤にとっては、会津藩に抱えられ、武士らしい武士になるには、どんどん前に進んで実績を上げていかなければならない。最強軍団の新撰組を作り上げるためにあらゆる戦術を駆使していく。
しかし、このような武断の力に頼る新撰組の体質は、時代の大きな問題解決には危険な要素を孕んでいる。組織のどこかでブレーキを備えていなければ、やがて暴力が暴力を呼び、最後に暴発してしまう。それ自身で長続きできない組織構造になっている。
戦後高度成長期のいけいけどんどんの経営者は、結局多額の不良債権を抱えてしまって、社会に大きな迷惑を残すことになる。どこかでブレーキが必要だったが、その時その時の成功の高揚した気分の中で誰もリーダーの暴走を止められず、組織の受ける傷を回復不能までに大きくしてしまった。
新撰組の活動において、誰かが内部のブレーキ役を果たさなければならない。それが山南さんの役割、
動乱の京の市内見回りという、非常に厳しい危険な警護の仕事ではあるが、血を流すことが当然のような激しい日常的な活動の中で、新撰組のあり方に常に疑問が出されてくる。攘夷を唱える志士をただ殺していくだけではないか。
さらに、外部の敵だけでなく、芹沢、山南、伊東、藤堂、谷など、内部の有為な人材を次々に殺していくという体質。街の人々にも、みぶろと言われて軽蔑される屈辱。
こうした厳しい環境の中で新撰組には、公武合体派の武装勢力として動乱の京都を鎮めるという歴史的な使命がある。それが、新撰組の組織理念。
この理念を常に新たに組織の活動の中に吹き込み、組織の活動をチェックするのが、山南さんの役割、
どこかで立ち止まって新撰組の活動をチェックし、行きすぎの面があれば、絶えず局長に進言して本来の姿に戻してゆく。会津藩のお抱えとして藩からの指令だけで動く組織では、組織の内発的な成長発展が期待できない。
内部で誰かがチェックし暴発を止めなければ、(京都守護職のお抱えといっても)社会的な存在としての新撰組組織が広く認知されなくなる。怪しげな連中が屯する怖い存在として恐れられるだけである。それでは本来の組織理念と離れてしまう。
日露戦争の戦勝気分が高揚して、日本は西洋列強に充分互していける大国と錯覚したところに、日本の進路を誤まらせてしまったと言われる。国民的な戦勝気分の中で冷静に国際社会の中の日本の現実を直視し反省して、日本の本当の姿を確認すべきであった。
国家としての組織的なチェック機能が効かなくなって、軍部独裁に発展していったのではないでしょうか。
沖田がもう少し社会経験があって自立しており、かつ元気であれば、”私の剣は人殺しのために使われるのではない”と、時には、土方さんに厳しく食ってかかったかもしれない。沖田の純粋な感性は、山南さんと通じるところがあり、沖田、山南ラインで土方の激しさのチェック機能を果たしたかもしれない。
土方は、土方独自の論理で新撰組の強化を図ろうとしているので、それ自身まったく論理的に否定のしようのないもの、
要は、どんなに正しいと思われることでも、性急に一方的に押しつけられると、やがて歯止めがきかなくなり、しばしばゆがんだ結果を生むことである。
その意味で、山南さんを失うことは、新撰組組織のバランスのある発展にとって致命傷になっていく。
近藤の役割として、ますます公武合体派の重要な抑えとなるべき時である。
局長は、他方で、土方戦略による武断の圧倒する力を示しながら、もう一方では優れた政治力を発揮して時代の流れをより安全に誘導していく。
後者の重要な仕事を果たすには、山南さんの力が不可欠、武断の土方戦略と平和交渉の山南戦略のバランスの上に立てば、幕末の政治における近藤の力はさらに強固なものになったでしょう。
ただ、問題は、山南さんが健康で近藤の政治的な指南役を果たすような知識能力を十分備えていたかどうかである。
テレビの前半部分、山南さんの颯爽とした活動は、十分その役割を果たせる能力を予感させるものである。
しかし、インテリの弱さは、うまくその場が与えられれば見事に輝いているが、舞台が回って自分の出番がなくなってくると、急速に輝きをなくして萎んでいくことである。自分で逞しく舞台をつくれない。
長期わたって組織のリーダーとして活躍していくには、どんな環境になろうと、自力で自己内部の能力知識を外に発信しながら、変化に適応して生き抜く逞しさ、バイタリティが必要、
インテリ体質の山南さんには、自分のおかれた逆境を跳ね返す柔軟性と逞しさがなかったのかもしれない。
時代の環境が短時日にどんどん急変している中で、激しい闘争が日常的に繰り返されているために、自分自身が積極的に自分の活躍する舞台を作っていかなければ、どこかで脱落してしまう。
もういいや!!!、と思った瞬間に、運命が絶たれることになる。
( 自分の性格的な弱点と重なるために、山南さんのことを考えていると、ますます自己嫌悪に陥ってしまいます。いつもここから逃げ出したくなる!!!)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
尊皇攘夷と狂乱の戦争
九州は時代の先端を行く開明的な地域、特に長崎は、オランダを経由して西洋の新しい知識や技術(医術)を輸入する大切な窓口の役割を果たしていた、
お隣の佐賀では、開明的な鍋島の殿様の指導のもとに、輸入された技術知識を充分吸収し、独自の新しい技術開発の試み、アームストロング砲のような当時の先端的な武器までも。
九州は時代の先端を勢いよく走る土地。
その長崎が、最先端の西洋科学技術による悲劇の地に、
今日長崎に原爆が落とされました。
なんとも痛ましく悲しく、ここまで人間が残酷に人を傷つけ苦しめるものなのか、戦慄する思いで原爆の悲劇を思い出しています。本当に獣のようで恐ろしい世界ですね。
このおぞましい獣性を、高貴な理性によってどこまで克服できるか、人間みなに科せられた原罪と贖罪
8月になるといつも思うことですが、日本の指導者が何故にこのような悲惨な戦争に国民すべてを引き込んでいったのでしょうか。
人間一人一人の幸せは一体何でしょうか、そのために国が何かしなければならないのでしょうか。
人々が幸せで豊かになることは、国が海外にまで領土を広げることでしょうか、海外に政治的軍事的覇権を確立して他の国の人に恐れられ、尊敬されることでしょうか。
どうも理解できない無理があるように思います、資源の乏しい日本で、国民の生活を守り食べさせるために、武力を行使して海外に出るという論理には、(いつも分からなくなります)
さて、幕末の尊皇攘夷運動の高揚期、すでに日本はどこか間違った道に進む危うさがあったのではないかと思います。
まるで時代の新しいファッションのように、幕末の若者は誰もが尊皇攘夷の理想を語り、その志に酔って激しい行動に走ってしまう。
ドラマでは、近藤さんたちもその勢いに巻き込まれているが、佐久間さんや勝さん、さらに龍馬との出会いの中で、観念的な尊皇攘夷の激しい外国人排斥運動よりも、開国によって日本を強くして日本を守る、という海外と日本の現実を冷静な目で見る思考法が、近藤さんの思考に影響を与えている。
そもそも江戸時代、幕府の正式の学である朱子学は、どうも理屈ばかりが先行して、現実的なリアリズムに欠けるものであったと考えられる(私は勉強不足で誤解しているかもしれませんが)。
冷静に冷めた目で現実の動きやあり方を正しく観察し、そこから本質的なものを導こうという現実的な思考方法は、時代の大きな変わり目には特に重要である。観念論だけで一つの幻想の姿を描き出し、それにもとにして閉鎖的な論理を展開していく。絶えず動いている現実世界よりも、過去の学者の書いた論理が重要であり、学問するとは、過去の学者の説を踏襲し繰り返すこと。
マルクスレーニンの思想を前提して共産主義社会を構築し運営してきた国家は、やがて国民の現実の動きから厳しいしっぺ返しを受けて崩壊していく。共産主義の観念論が、現実に国民と社会が生きる本当の厳しい姿を見る目を曇らしていたのである。国民の現実よりもイデオロギーが優先される。
さらに発展した陽明学になると、社会的正義を実現するための行動の学問、
確かに正義感によって人間の行動のモチベーションを高めるということは、非常に魅力的である。問題は、ここでの正義感が閉じられた観念論から生まれたきたものであり、しばしばそれを信奉するグループのイリュージョンになって、外部からまったくチェックされたり抑制されない。その結果、陽明学の学徒は、しばしば非常に危険な行動に走ってしまう。
現実の世界を直視しその中で厳しく鍛えられた正義感であるならば、そのもとでの行動はより多くの人々の共感を得て、長期的に見て社会を変えていく大きなエネルギーになってくる。
幕末の志士には、あまりにも性急に、自分たちがやらなければ日本が滅んでしまうという思いこみが強く、それがすぐに激しい行動に噴出してくる。尊王攘夷派による暗殺の横行、暴走など、現代の自爆テロの思想に近いものを感じる。
吉田松陰の歌
かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
武士道の神髄、日本民族の活動力と高く評価されています。
しかし、その行動が社会的にどんな結果、影響をもたらすか、現実社会の冷徹な分析によってそれがどこまでしっかり確かめられているのか、自分たちの世界における思いこみの観念論に落ち込む危険性をチェックして、同時代の多くの冷静な優れた頭脳の共鳴を得ているものであるか、
ここのところが決定的に重要になってくる。
太平洋戦争に突入する運動力は、長州を中心にした(山県有朋ら)軍人から受け継いだ、こうした観念論的な思考方法に起因するのではないでしょうか。現実を冷静に見れば、日本は太平洋戦争を行う国家的能力を持っていないのは明らかである。それを分かっていても、日本を守り攘夷を実行するために国民の自由な思想を厳しく統制し、無謀な戦争に強制的に日本を引き込んでいく。
特に深刻な問題は、尊皇攘夷運動の思想的な根に水戸藩による天皇を中心にした歴史観があったこと、
日本は天皇が支配する国であり、幕府は天皇の指示のもとに従うべき、この考えが強まってくると、天皇の許しのない幕府の決定は無効であり、そのような幕府を討伐すべきである、
大戦では、天皇陛下ばんざい、と言って多くの兵士が死んでいったと言われています。天皇の統帥権が、長州閥を中心にして法的に確立され、やがて国会の権威を越えた統帥権のもとに一部の軍部指導層が日本国の運命を決定していく。そこにはもはや、国民一人一人の人権や幸福を尊重する思想が忘れられ、天皇という公的な国家機関にすべてを従属させている。
しかも、日本の運命を決定する行動を支えているのは、厳しい現実分析による現実論でなく、水戸藩以来の皇国史観という特異な観念論。
長い日本の歴史で天皇は、政治的な権力をもつことは少なく、いわば神官のように日本国の象徴として人々の自然な尊厳を勝ち得ていた。明治天皇が凛々しい軍服姿している写真を見て、皇后が、これで天皇家は滅ぶのでは、と大変心配された、天皇の住まいである京都の御所はまったくの無防備であっても、泥棒もはいらなかった、それだけ天皇という存在は、現世的な権力や富とは関係なく、日本国の長い伝統の象徴としての自然の威厳の対象であった。
第2次大戦に日本を導いたのは、幕末から明治維新における尊皇攘夷思想の行き過ぎであるように思われます。尊皇攘夷の熱気のもとに、わずか100年の間に急速に興隆し敗戦の悲劇に追い込まれた日本、
(質屋の倅)龍馬は現実を直視し、薩長の対立という誰もが認める時代の観念論を容易に克服して、日本の現実のあるべき本質的な姿をえがくことができた、
その龍馬の考えるような、世界に開かれた自由な商人国家を建設に向かうべきだったのでは。土方も、同様に商人的な才覚で日本をリードできる器であった。龍馬、土方などのグローバル・リアリストが明治維新をリードしていたら、愚かな大戦への突入という国民的悲劇が避けられたのでしょう。
今日はそんなことを考えながら、尊皇攘夷運動の限界を見つめていました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
やはり、下っ端のお咎めに土方は執着しました。
近藤さんの留守を狙って。
(近藤さん、なかなか貫禄が出てきました)
8月2日の「書状を人前で破る」の中で
別の罪で下役が組織から離れた、と書きましたが、やはり切腹させられたのですね。
土方は、どうしても上司への反乱を見逃すことができなかった、見せしめのために。しかし、首謀者の永倉は松平候によって命が保証されているから土方も手がでない(それを案じて上京の近藤は意識的に永倉を同行させて手元におく)
また先日、武士宣言した新撰組では、まだ武士でもないのに切腹させた、と書きました、
作法を知らないもに腹切りの格好だけをつけさせて実際は打ち首。
やはり彼は、そっと逃がすべきでしょうね、とても武士道の人間ではありません。
この辺に、早く会津藩よりも強い武士らしい武士になろうという土方の焦りが出てきているようです。
そして、近藤の政治的な台頭、公武合体派の論客として、江戸幕府の老中に将軍上洛の要請をするために選ばれて上京。それに対して、傾いた幕府のなんとも情けない対応、(もう金がないと!)
ここに、長州討伐を巡る頃の幕末の政治状況がよく現れています。
もし、一橋候(桑名候も)が登場してくると、京における有力な政治勢力(一会桑)の陣容が紹介されることになる、さらに、会津の松平候を頼りに思う孝明天皇と公武合体派の関係が描かれれば、幕末の日本政治史における、池田屋事件以降の新撰組や近藤の歴史的な意義が大きくクローズアップされる。
単なる京の警護を受け持つ武力集団ではなく、新しい時代を安定的に動かそうとする政治力として新撰組の姿。脚本家は、ここまで深く考えていないのでしょうかね。
今日の新撰組ドラマは、江戸の近藤と京の土方の2正面の動きを追い続ける。その意味するところは重要。
他方で、戦う組織として強くなるために次々に仲間を切腹(死)に追い込む暴力的な暗い側面を持つ新撰組、
一方で、幕府勢力と倒幕勢力の間に入って幕末の新しい政治運動を支え、引っ張るという大きな役割を果たす歴史的な存在としての新撰組、
新撰組の二つの側面が、江戸と京とで交叉しながら進行していきました。
次には、いつも涙が止まらない明里と山南の別れ、あれは桜の散り舞う春でしたね。あまり悲しいから見られないかな!別れは本当に辛いですね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8月8日 新撰組には武士道精神?
吉村貫一郎の故郷、盛岡、新渡戸稲造さんの碑、
落ち着いたお城のある街を散歩しながら、武士道について考えていました。
吉村は、故郷の家族を心より愛し、苦境の家族を支えるために脱藩までして、出稼ぎのような仕送り生活、いつも心の中には愛する家族が生きている。
家族に送金するお金が得られるならどんな嫌な仕事でも引き受ける、かって藩校で剣道の師範として若い武士を育てていたのに。新撰組の中では、特異なキャラクターです。
李登輝「「武士道」解題」によると(150頁)、古くから
「もののふ」(武力をもって公に仕える武者)
「つわもの」(合戦をなりやわいにする兵)
「さぶらい」(官人や貴族の警護や家政を受け持つ侍)
という言葉があり、平安時代末期にはそれが一つに収斂して「武士」になっていったと考えられています。
新渡戸稲造先生も、「武士」という長い歴史の中でも、いわゆる「武士道」という名の高貴な精神的規範が確立されるようになったのは、
「12世紀末、源頼朝の制覇と時代を同じくするものである」と述べています。(151頁)
すべての土地が京都の公家階級に所属するという荘園制度、
13世紀になると、やがてその古い制度を突き崩すように、関東に流れてきた土地なし浮浪者が、未開の農地を開墾して自分の土地にしようとするようになる。それを守るには、武力を備えた新しい武士階層が必要で、その統領が鎌倉幕府の頼朝、
関東武者は、京都の公家から自立して自分自身の開墾地を所有し、その新しい土地制度における公的な権威として鎌倉幕府の成立、頼朝が関東武士のゴッドファーダー。
ここから統領(保護者)への強い忠誠心が育ってきたと思われます。
自分一人では公家から独立した自分の土地の所有権を守れない。統領の頼朝に対する忠誠心を重んじることによって自分の土地の権利が守られる、そこから武士という行動規範が生まれてくる。
こうして新しい時代を切り開き、関東を中心に新しい土地所有制度を確立するようになる。
(その意味で京都の公家から爵位を受ける義経は時代の流れの裏切り者)
こうして強い地位を確立した組織保護者(統領)への忠誠心が、武士階級の基本的な特徴になる、
殿様のためなら喜んで命を捧げるという忠誠心と勇気のある行動、
お家の安泰が、個人の利害をはるかに超えて重要な行動規範になってくる。その意味で脱藩は、殿様への裏切り、死に値する。(局を脱する者は切腹)
公的な正義を体現する殿様への強烈な忠誠心は、組織に所属する武士として、組織の名誉のために”名を惜しむ”という行動規範につながってくる。
(ただ、今風に言えばここは難しいところ、お家のためなら社会的不正義でもやるのかどうか、殿様は絶対的な社会的正義の具現者という前提そのものが受け入れられないとどうするのか)
武士の忠誠心は、単純に殿様の命令にすべて忠実に服するということだけでなく、公的な正義の具現者である組織(殿様)の名誉を重んじるという考えから、自分の日常的な行動も名誉のあるものであるべき、という社会的正義感の意識が常に強く働いていなければなない、そこから、武士しての立ち居振る舞いに自己規制が非常に強くなる。
「武士にとって卑劣な行動、曲がった行動ほど、忌むべきものはない」(新渡戸稲造)、それが進むと「武士は食わねど高楊枝」
(新渡戸稲造は、さらに諸々の徳について、武士道の本質として取り上げるがここでは省略します)
さてさて、士道そむくべからず、新撰組が厳しく組員を戒める、その武士道とは、果たしてどのような内容であろうか。
局長近藤は、果たしてすべての新選組隊員の本当の保護者(統領)であろうか。新選組として実現すべき社会的正義とは何であろうか。”武士として名を惜しむ”という行動規範が組織構成員の心の中に浸透しているのであろうか。
選挙の公約のように、これは”武士宣言”のスローガンであって、実際の行動における実効性が乏しいのではと懸念、それであるのに、切腹という武士の厳しい規範を導入している。
(今日も暑い日、お墓参りもあり、この件はもう少しゆっくり考えてみます。)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
またお呼びがかかって盛岡へ、
世の中には、捨てる神もあれば拾う神もある、美しい景色の盛岡へいらっしゃい、という一声に誘われて、一泊旅行です。
吉村さんの故郷でのんびりヨーロッパの旅の計画を話してきます。
新渡戸稲三の故郷、武士道のことも考えてきます。
私の大学院改革案は、いつも研究科の理念から書き始めます。今進めている研究科組織の再編成は、リエンジニアリングといって、組織の理念を再検討し、その上で教育システムがそれを実現するようにうまく効率的になっているか、チェックしています。
その上で個々の改革案を起案しますが、それは、提案、趣旨、内容の順に具体的な文章で提示し、研究科委員の先生に議論してもらい、最終的に決定していきます。みなさんのすばらしいアイデアを伺うながら、沢山の起案章を作るのは大変な作業ですが、いつも委員長の職責として一人でやっています。
こうした個別の改革案は、現在30〜40案程具体化しています。
大切なことは、理念に沿って研究科組織全体が整合的に新しい姿に変えられているかということ、
それを常時確認するために改革工程表を書いて、改革作業の進行に関する全般的な管理を行っています。常に理念から出発し、理念に帰る、というプロセスを大切にしています。
テレビでは、土方はいよいよ新撰組を強化したいという理想に燃えて、新しい新撰組作りを着手しまし
た。
まず土方も理念の明確化から始めます。
新撰組の理念は武士道、士道を全うすること。
規則の第1条は、まず、われわれの新撰組は、武士として誠を貫くという、高い理念を明確にして隊員に意識改革を行う。
ここで士道とはどんなものであるか、詳しくわからない、けれど、理念として武士宣言をしている。
だから、一番最後の切腹も、武士として最高の栄誉である。別に厳しい規則でなく、武士らしい罰を受けること。
昨日新撰組会話が盛り上がりました。しゃべりしゃばり疲れるほどに、長い日本歴史の道をいったり来たり。絶えず新撰組と比較しながら。ベテランの隊員(学生)、正午から夜まで本当にお疲れ様でした。
このシーンの会話は:
町人、浪人などが、新撰組に入ってきて、一体どれだけこの理念を理解して組織的な活動のモチベーションにしたのか、疑問が出されました。その証拠に、切腹とは名ばかりで、腹に刀を当てるだけで打ち首同然に殺しています。武士という高い理念がどこかに消えてしまう。
土方の一番辛いところでしょうね。武士を前提にした隊員への規則が、武士なんてよく分からない人に適用する、そこに人間味をなくした残酷さが生まれてくる。
勘定方の河合さんのことです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近特に優秀な若手の先生が他大学に移られることになり、自分の学部教育の仕事を近い将来お任せしようと楽しみにしていただけにもうもう大ショック。
今年の春も私の研究科で2人も他大学に移られて、残った学生の面倒をどうするかで大変な思い。
何で学生に人気のある教授が他大学に逃げていくのか。大学の組織に基本的な問題があるのでしょうけど。
私も若い時にどこか別の大学に移りたい、環境を変えたい、としばしばぼんやり考えたものでした。
今はもう定年前、年をとりましたが。
アメリカの大学では、優秀な先生ほど他大学から引っ張りがあって、転々と研究環境の良い大学に移られる。
問題は、組織の管理者の立場です。祝福をしながら、さて後をどうしようかと、辛い立場に追い込まれる。どの組織も優秀な活力のあるメンバーに支えられて活発な活動が展開されており、ヘッドハンティングにあう教授ほど、組織にとって貴重な人的資源、なかなか余人をもって代えられない人です。辛いです。
土方が、局を脱するべからずと、切腹の厳しい罰則で隊員を新撰組に拘束したが、切腹は別にしてその気持ちはよく分かるよう、
プロ野球でも一定年限選手を拘束することで初めて組織活動が維持されている。無理に外に移ろうとしても選手生命を絶たれるだけですから、まさに切腹ですね。
では、新撰組では何故にここまできびしく隊員を拘束したのか。
通常貴重な人的資源は、長年組織の内部の継続的なで鍛えられ蓄積されていきます。
科学者でも、個人的な才能努力に負うことは当然であるが、研究所という組織の中で、研究環境をうまく活用して研究成果をあげている。だから、簡単にここでの研究成果をもってライバルの企業に移られると、大変。
企業の秘密が流出しないように、退職について厳しい制約条件を研究者に課している。現代の切腹命令は裁判所による持ちだし禁止とによる損害補償の判決。
新撰組の場合にも、外からなかななか分からないような、組織としての重要な機密性の高いノウハウが多くあります、例えば、市内見回りの作業に関する組織の機密情報。これが漏れると待ち伏せなど隊員の危険性が高まります。したがって、土方が情報保持を重視した結果、隊員の脱退を極度に嫌ったのでしょう。
しかし、本音は新撰組への帰属意識の問題だと思います。高い報酬と武士になれるという強いモチベーションで隊員を組織内に取り入れて、内部で徹底的に鍛えて付加価値をつける。
その時、新撰組のような危険な仕事では、隊員の死をかけたやる気がもっとも重要な要素です。単純に高い報酬や武士への望みだけでは、この危険な仕事にいつまでも自分の生死のすべてをかけることは難しいことかもしれない。それができるのは、自分は、京の街で恐れられる最強集団新撰組に所属するという強い誇りや自意識です。
、機会があれば逃げだそうと思っているいる連中は、怖い仕事のまえには完全に逃げ腰になりやすいが、これがきわめて危ない。現場で組織的な行動を壊してしまい、敗北につながるから
(宇都宮戦争で逃げていく兵士を土方は切り捨てる、もちろん後で篤く供養するが)
土方流の帰属意識を高める方法は、やはり厳しいものですね。それは背水の陣、退路を断ってここの組織で前向けに活路を開くしかない、所属する組織と運命をともにしてこそ浮かぶ瀬もある。
退路を完全に断つことによって隊員の気持ちを前に引き出そうとする。厳しいように見えるが、会津藩のお抱えとして危険な京都警護の仕事を充分やり遂げるには、内部の意識をこのようにきびしく整えていなければならない。
それでも多くの平隊員がいろいろな段階で脱走していますが、それは仕方ないこと。組織への貴族意識が希薄な隊員には、危険な仕事を任せられず、むしろ組織から去ってもらった方がよい場合にもある。
ただ問題は、このような退路を断って強制された帰属意識は、本当に長く組織の活力を高く保持するためのエネルギーになるかです。
個人個人について、組織の活動へのモチベーションは、組織の決定に自発的に参加し、その成果をともに喜ぶという側面がどこかになければならない。
ただ奴隷のように力で抑えられて組織に縛られる状況では、組織のために尽くそうという前向きの気持ちが徐々にすり切れてきます。
山南さんは、土方が支配する新撰組の意志決定のプロセスから拒否されるにしたがって、新撰組への帰属意識が薄れていったのでしょう。自分も自発的に新撰組の活動に責任をもって参加するのでなければ、もはやここにいても仕方がないと。
組織への強烈な帰属意識をつけて組織的な活動へのモチベーションを強めるという土方の戦術が、きびしく隊員を管理するだけの道具になってしまうと、かえって、帰属意識を弱めて自発的な活動意欲を阻害してしまう危険性がある。
土方は、まだ若くてこの辺の危険な諸刃の刃を使い損ねたという面も否定できないと思います。
(辞められた先生には、大学であれだけ中心になって活躍されていたのに、やはりどこかで組織の中にとどまりきれない不満があったのでしょう。
もちろん、教授職なんて、本来個人的なものですから、もともと個人の利害がもっとも重視されるのは、当然のことでしょう。あまり組織への帰属意識を問題にすることはないのですが。
学生にメールで、彼女の教わった先生が他大学に移られるよーと、というショックを教えた時、メールの最後に”・・先生かカムクバック!!!(映画では、シェーン!カムバック、でしたね)。
学生も私の声にこだまを返して、カムバック!!!。なんとももったいないなー)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
夏の暑い日が続いています。
(以下暫定の思いつきの文章、後で修正します)
土方と永倉との関係を考えています。
新撰組という組織を管理運営するには、そこに何らかの管理システムが必要になります。
土方は新撰組を強化して重大な事態の変化に柔軟に迅速に対応できるような機能的な統一的組織を作り上げようと考えている。局長、副長の下に組長を配して、現場で戦う単位としての組を中心に組織を動かしている。
組長は、ローマ軍の百人隊長のようで、どれだけ優秀な多くの百人隊長を鍛えるかによって、大きな争いの帰趨が決まってくる。シーザーが強かったのはその下の百人隊長がシーザーの人望に惹かれて集まっており、戦いの前に組織として徹底的に鍛えられていたから。
新撰組も特に優秀な組長の存在が、組織の活動力を非常に高めている。
問題は局長、副長と組長との間のコミュニケーションである。
もともとほとんど情的な関係でしか人間の結びつきがなかった(近藤さんの人柄が気に入ったからついてきた連中の)世界に、戦うための無機質的な要素を多く含んだ、ピラミッド式指示命令系統を組織の中に植え付けようとする。しかも、前からの仲間である組長はそれぞれ一人でも非常に優秀で、剣の力は、副長に匹敵するようなレベルである。京都警護の仕事では、戦いが集団で行うと言っても、基本的には個人個人の剣の力量が争いにおいて決定的に重要な要素になっている。そのために、腕に自信があればそれだけで命令指示のミラミッド型の中に組み込まれて誰かの下につくことに心理的な抵抗が強くなる。昔のような1対1の争いという武士のメンツが、まだ強く個人の行動を規制している。
土方は近代的な組織として機能的な活動を重視して、個人の剣の腕前には、組織管理においてはそれほど重きをおかない、新撰組という集団でどれだけ強くなるか、探索なども含めた総合力の強化が最大の課題である。もちろん、現場での戦いでは、個人的な腕前が決定的に重要であることはよく理解して、人材配置の面で個人個人の力量を配慮している。
永倉は、小人数の仲間であうんの呼吸でやってきた試衛館時代のやり方が自然なものとして考えている。このギャップを埋めるためのヒューマンコミュニケーションが不可欠になる。
試衛館の頭領としての近藤さんが間に立って二人の連結役をしようとしている。しかし徐々に、近藤さんそのもが土方の戦略に組み込まれていることが明白になると、もはやその役割を果たすことができない。近藤さんは天狗という批判は、個人的なものでなく、近藤さんを局長にしたピラミッド型命令系統への批判である。
ピラミッド型の近代的な組織に、それぞれ独立した自意識の強い仲間を組み込むには、そこには組織内の説明責任が非常に重要になる。
組織の理念をベースにして組織がこのように作られ、その中で組織としてこのような活動が展開されていることを常時説明し、メンバーがそれに納得し、情報の共有化を図っていかなければならない。
それぞれ自立したメンバーで構成されている、軍隊的な組織の管理運営の難しさです。、上からの一方的な命令指示系統を明確に確立しておかないと、機動力の高い迅速な組織活動ができない、同時に自立した個々のメンバーの組織活動へのモチベーションを高めるために、どこかで双方向の伝達経路をもっていなければならない。
ここで説明責任とは、単純にメンバーに説明すれば済むというものでななく、メンバーのやる気を高めるために、その組織の決定にメンバーも参加して協力しようと言う姿勢を引き出すような双方向の話し合いが不可欠である。
新撰組が最強集団と言われたのは、他方で近代的な指示命令系統を確立して、組織として機動的な活動力を高めていた(また集団で取り囲むという集団的な戦法をベースにした)ということと、百人隊長の組長が組織の一員として強い帰属意識ももって現場での命令指示を的確に行ってきたことがあげられる。
組長がうたれた場合は、その構成員はすべてそこにとどまれと言う軍律などは、ローマ軍以上に厳しいですね。
問題は、土方がどれだけ説明責任の重要性を認識していたか、認識していてもうまく組長にコミュニケートしたかどうか、永倉反乱も土方には貴重な教訓になったのでは。
それにしても、土方の天才的な組織作りは現在でも非常に興味のある研究課題です。従来の上からピラミッド型命令系統だけで動く会社組織から進化して、情報化社会では中抜き組織、すなわち、組織の中間管理職がなくなって現場のリーダーの管理能力、判断力がますます重視されてくるようになっています。従来は、従業員には組織の命令に忠実に従うことが最大の徳として強制されていたが、今や個人個人の自立した判断能力、管理能力にまかせられる。
企業間の戦いでは現場の力量がますます決定要因になっている。販売組織に強い力量をもつトヨタ自動車。
その時、情報化社会ではネットを通じてトップと現場の百人隊長との間で常時情報と意志決定のコミュニケーションがなされている。ビルゲイツは何百のメールに返事をしているとか、ヨーカ堂の鈴木俊文さんも長年全国に散らばった現場責任者を集めて密接な意見交流会の積み重ねが今の成功のもと。
現場との双方向流野中で、現場の百人隊長のモチベーションをどれだけ高く高められるかがトップの最大に仕事になる。
シーザーは負け戦になってくると、最前線に出て戦う現場の兵士を叱咤激励して戦線を立て直した、組織のトップが最前線の人々に戦う強い姿を見せることが、モチベーションを高めるためにますます重要になっている。
土方の組織的な指令系統の中で、近藤さんは池田屋で自ら切り込んでいく、その姿が永倉さんを納得させる。
しかし、新撰組の発展とともに、どうも近藤さんは政治に熱中して戦いの最前線では姿を消してしまったようですね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント